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作品タイトルで解釈が分かれる国宝とは?
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名付けの歴史をたどると、美術の違った側面が見えてくる!
というわけで、「美術作品の名前(タイトル)」というテーマをどんどん深掘りしていくシリーズの第四弾です。
軽くおさらいをすると、日本絵画の作品名は、たとえば《燕子花図屛風》だったり《秋冬山水図》だったり、いたってシンプル、言ってしまえば機械的な「画題+図+形状」というタイトルばかりだということ。
その理由は、もともと作者が作品に名前をつけるという習慣がなく、後世になって便宜的に名付けられたものだから、という話をしたのが、第二弾の「作品タイトルから考える日本美術」でした。
しかし、それはあくまで基本の話であり、江戸時代以前にも主に二つの絵画ジャンルに限っては、作者が明確な意図をもってタイトルをつける習慣があったこと。その一つが浮世絵であったことを、その理由とともに考察したのが、第三弾の「作品タイトルをめぐる冒険[about UKIYO-E]」でした。
第四弾となる今回は、日本絵画の中では珍しく名付けの意識がはっきりとうかがえる、もう一つのジャンルについて、紹介・考察したいと思います。
ではまいりましょー!
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今回取り上げるのは、文人画または南画と呼ばれるジャンルです。
文人画とは、もともとは中国で士大夫と呼ばれる文人たちが余技として描いた絵のことを指します。画院画家(宮廷に属した画家)のような専門絵師とは異なり、技術を求めるのでは無く、心のままに楽しみながら描くのが大きな特徴とされています。それが江戸時代半ばに日本で受け入れられ、江戸時代中後期〜明治時代初めまで大いに流行しました。
水墨中心でぱっと見では絵柄が地味なため、とっつきにくいと思われがちな文人画ですが、作品タイトルという視点で読み解くと、その面白さがわかるかもしれません。
というわけで、この絵を見てください。