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「作品タイトル」考〜奥深すぎる名付けの歴史〜

すべてのモノには名前があります。私にも、あなたにも。

名前があるからその存在が認識できるとも言えますし、名前がなければ呼ぶこともできません。

と、たまには、こんな哲学的な書き出しも悪くないですね。

さて、美術作品にも作品名(タイトル)がありますよね。
ゴッホの《ひまわり》しかり、ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》しかり。

美術館に展覧会を観に行けば、飾られた作品の横には、作者の名前とともに作品名を記したキャプションが設置されていることでしょう。
逆に、作品名の表示がどこにもなく、ただ作品だけが飾られていたとしたら、居心地が悪いような、手がかりが無くて途方に暮れるような、そんな不安な気持ちになるのではないでしょうか。

そう、私たちは無意識に作品にはタイトルを求めてしまうのです。

かくのごとく、あって当たり前の作品名。
しかし、それは本当に当たり前でしょうか?
このようなふとした疑問から思考をめぐらせてみたのですが、どうやらこのテーマ、ものすごく深くて一筋縄ではいかないようです(それこそ本腰入れたら本が一冊書けるぐらい面白そう)。

それでは行ってみましょう!


意外とぐらつく作品名

まずは、「作品には必ず唯一無二のタイトルがつけられている」という固定観念を崩すところから始めましょうか。

作品には必ず固有のタイトルがつけられている、と思っている人は多いです。
でも、人が思うほど作品名というのは絶対的なものではありません。

美術館で作品の横にある解説を読んだ時に、「発表当時の作品名」とか「展覧会に出品された時のタイトル」とか言って、現在と少し違う作品名が注記されているのを見たことがありませんか。
実は作品名って、時代によってぐらついたり、変わったりするのです。
作品そのものは不変なのに不思議な感じもしますよね。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-06年、ルーブル美術館

たとえば世界で一番有名な絵画《モナ・リザ》。
誰もが《モナ・リザ》と呼んでいますが、これだって作者のレオナルド・ダ・ヴィンチが「この絵は《モナ・リザ》と命名する!」と高らかに宣言したわけではありません。
《モナ・リザ》という名称は、レオナルドの没後にヴァザーリという人が著した本の記述が元になっています。
この記述がなければ、絵のタイトルは、単純にモデルの名前で《リザ・デル・ジョコンド》、または《リザ・デル・ジョコンドの肖像》になっていたでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《リザ・デル・ジョコンドの肖像》
↑だったら?

ちょっと想像してみてください。
もし、この絵のタイトルが《モナ・リザ》ではなく、《リザ・デル・ジョコンドの肖像》だったとしたら。

はたして、この絵はここまで世界的なアイコンになっていたでしょうか?
私たちはこの女性のほほえみに、計り知れない深みを感じ、その真意を読み解こうとしたでしょうか。
私は《モナ・リザ》という短くミステリアスな名前が付いたからこそ、この絵は人々をよりひきつけたと考えています。

そう考えると、作品の名付けというのは奥深いですよね。
ただの呼称ではなく、作品の価値や評価を左右するのですから。

ベラスケス《ラス・メニーナス》1656年、プラド美術館

ベラスケスの傑作《ラス・メニーナス》も、当初の名称は《ラ・ファミリア》、その後《フェリペ4世の家族》とされた時期もあり、そしてプラド美術館に収蔵された時から現在の作品名《ラス・メニーナス》(訳・女官たち)になったといいます。

このような例は、いくらでもあります。むしろ長い歴史の中で作品名が不変のものの方が珍しいでしょう。

名付けの歴史

作品名が時代とともにぐらつく理由。
それはもともとヨーロッパでは、絵画や彫刻といった造形作品に名前をつける習慣がなかったからです。

では、今のように作品に作品名があるのがスタンダードになったのはいつからかと言えば、

それは「展覧会」というものが誕生した時からです。

フランスの美術アカデミーが「サロン」と称する展覧会を定期的に開催するようになったのは、18世紀に入ってからのことです。
展覧会の出品リストに、絵の内容(画題)を記述する必要があっため、そこから作品に便宜的にタイトルをつけるという習慣が生まれたとされています。

さて、作品名の付け方に着目すると、時代とともに傾向があることがわかります。

18世紀〜19世紀にかけては、基本的に描かれている内容(画題)をそのまま作品名にしていることがほとんどです。何を描いたものなのか分かればいい、という考え方です。

19世紀前半、ロマン主義の画家テオドール・ジェリコーがサロンで発表した《メデューズ号の筏(Le Radeau de la Méduse)》。そのまんま。

テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》1818-19年、ルーブル美術館

バルビゾン派のジャン・フランソワ・ミレーが1857年にサロンに出した《落ち穂拾い(Des glaneuses)》。そのまんま。

ジャン・フランソワ・ミレー《落ち穂拾い》1857年、オルセー美術館

絵画表現という意味では、大きな変革を行った印象派も、作品名は画題そのままという流れを受け継いでいます。

サロンに反旗を翻して開かれた印象派展の出品作のひとつ。クロード・モネの《日傘をさす女性(La femme à l'ombrelle)》。特にひねりはないですね。

クロード・モネ《日傘をさす女性》1875年、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)

後期印象派と言われるセザンヌやゴッホなどもこの傾向は変わらないのですが、

例:セザンヌ《カード遊びの人々》《サント・ヴィクトワール山》、ゴッホ《ひまわり》《夜のカフェテラス》いずれも絵の内容そのまま。

ポール・ゴーギャンに限っては、名付けに対する意識変化のきざしが見られます。

ゴーギャンは絵の中に、しばしばタイトルを書き込んでいます。

2人の女性を描いた絵(↓)の中に、ゴーギャンはタヒチ語「NAFEA Faa ipoipo(いつ結婚するの)」と書き込み、それがこの作品のタイトルとなっています。

ポール・ゴーギャン《いつ結婚するの》1892年

《いつ結婚するの》とは、この2人の女性に対する問いかけでしょうか。それとも後ろの女性から手前の女性への問いかけでしょうか。このタイトルによって、様々な想像がふくらみます。

さらに印象的な作品名と言えるのが、ゴーギャンが愛娘を失った直後に描いた(完成後にゴーギャンは自殺を図る)《われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか》です。

ポール・ゴーギャン《われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか》1897年、ボストン美術館

これも絵の左上に「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」とフランス語の書き込みがあり、それが作品名となっています。
哲学の命題のような作品名ですね。
この絵は構想画と呼ぶべき作品であり、絵の内容をそのまま作品名にするそれまでの流れとは、明らかに一線を画した名付けだと言えます。

言うなれば、絵の内容をタイトルが補完し、描かれている表面的なモチーフの奥に、より深い意味が込められていることを暗に示唆する役割を、タイトルが担っているのです。

ゴーギャンの活躍時期と重なりますが、19世紀末にヨーロッパ各地で登場した象徴主義の画家たちの絵にも名付けの意識変化が見られます。

エドヴァルド・ムンク《叫び》1893年、オスロ国立美術館
グスタフ・クリムト《死と生》1908年、レオポルド美術館

《叫び》、《死と生》。
象徴主義に分類される画家たちを筆頭に、自分自身の内面や、恋愛、生と死、孤独と希望などの精神性そのものをテーマにした絵が続々と登場してきた時代です。
そのため、作品名も必然的に絵の内容を単純に言い表すものではなく、より抽象的、観念的なものが増えていきました。

そこから進んで(進化論のように「進んで」という言い方が正しいのか分かりませんが)、キュビスム、フォービスムが登場してくると、また少し作品名の意味が変わってきます。

これらの絵画は、見ただけでは何を描いたものなのか分かりません。そこで作品名は、作品の内容を示す重要なヒントとなりました。

ブラック《ヴァイオリンとパレット》1909年、グッゲンハイム美術館
マティス《ピアノのレッスン》1916年、ニューヨーク近代美術館

この2点(↑)などは、作品名を見てから眺めると、ヴァイオリンやピアノがなんとなく認識できますが、それが無かったらなかなか難解ですよね。

そして(「そして」というか19世紀末〜20世紀前半は、ほぼ同時多発的に美術の変革が起きているというべきですが)、いよいよ現代アートにつながる作家の登場です。

マルセル・デュシャンは、作品の名付けそのものが表現・メッセージになっています。タイトルをつけることで表現が完成しているのです。
ここでまた作品名の持つ意味が、大きく転換したと言えます。

デュシャン《泉》1917年

既製品でも作品名さえつければアートなのか、という問いにもなっているわけですね。

一方で、作品の名付けによって余計な意味が加わることを極力排除したいと考える作家も出てきます。その場合は、

素っ気なく《コンポジション》(構図、構造)とだけ名付けたり、

ピエト・モンドリアン《赤、青、黄のコンポジション》1930年、チューリッヒ美術館

《無題》と名付けたり。

ワシリー・カンディンスキー《無題》1913年、国立近代美術館(フランス)

以上、一息でヨーロッパ絵画の作品名の変遷をたどってみました。
こうしてみると、タイトルの付け方にも移り変わりがあるのがよく分かりますね。

作品名についての考察、全然これだけでは語り尽くせていません。
日本ではどうだったのかについても触れなくてはいけないし、とりわけ作品名にこだわった作家についても掘り下げて触れたいと思っています。

それを全部まとめようとすると、余裕で1万文字を超えてしまうので、さすがに誰も読まないでしょうから、ここで一区切りにして次回続きを書きますね。

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あなたがとりわけ好きな「作品名」はありますか?
詩的な作品名、皮肉の効いた作品名、ぐっとくる作品名。
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