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あなたの仕事はあなたの評価につながっていますか?[学芸員の場合]
時たまつづる、美術館学芸員の仕事論です。
学芸員の落とし穴シリーズ第二弾でもあります(第一弾は下記。案外読まれてます)。
さて、仕事って一体なんでしょう。
なんか、すごいところから切り出してみました。
抽象論多めで、本題にたどりつくまでの前置きが長いですが、おつきあいください。
私の考える仕事とは、何らかの価値を提供して、その代わりに評価を受けることです。
例えばカフェであれば、提供する価値とは、すなわちおいしいコーヒーそのものだったり、落ち着いた時間を過ごせることだったりします。その価値を認めて評価するからこそ、お客さんはお金を支払うわけですよね。
ここまでは、どんな仕事であっても本質的には同じだと思います。
では次に、その評価を受けるのは誰か、という話に移ります。
私は、この評価の受け手が誰か、はとても重要だと考えています。
もう一度、カフェの例で説明します。
おいしいコーヒーを入れてくれるのは、カフェの店員さんですよね。それだけでなく、店員さんは気持ちいい接客、ここちよい空間づくりに努めるなど、日々熱心に働きます。
ただし、そのことで評価が高まっていくのは、店員さん個人ではなく、そのカフェ自体でしょう。
評価の回収という言葉は、とても打算的でドライに聞こえるかもしれませんが、実際に仕事に対するモチベーションに影響する話ですし、おおげさに言えば自分の人生戦略を左右する問題でもあります。
自分の名前を出して活動するフリーランスの人であれば、その仕事の見返りとして評価は個人に蓄積されていきますよね。「とてもいい仕事をしてくれたから、またあの人にお願いしよう」といった形で。
自分の働きで自分が評価される。これはとても分かりやすいですね。
逆に、公務員であれば業務をいくらこなしても、もちろんいい仕事をすれば職場の中で評価され、出世が早まることはありますが、職場内評価とは地域限定通貨のようなもので、一歩外に出たら通用しません(あ、でも「元・○○」という肩書きは外でも通用する場合もあるから、ちょっと例えが悪かったかも)。
ここでようやく学芸員の話になります。
学芸員の仕事って、評価の受け手という観点でみた場合、なんというか微妙なんですよね。
学芸員のメインの仕事といえば、展覧会をつくること。
展覧会を実現するために、学芸員は随分前からせっせと作品調査をしたり、各美術館と交渉して作品をかきあつめたり、図録に載せる文章を書いたり、一所懸命に仕事をします。
そうやって開幕した展覧会が、うれしいことに話題になったとします。来館者も多く大成功となりました。
この場合の評価の受け手は、当然美術館ですよね。「いい展覧会をする美術館」「また今度も来たい美術館」として美術館自体の評価が高まっていくわけです。リピーターも増えることでしょう。
しかし、実はそれと同時に学芸員個人にも評価エネルギーが貯まっているのです。ここがポイントです。学芸員は展覧会を通して、その企画テーマに精通した人として名を挙げていくチャンスを得ているわけです。
展覧会という業績を重ねていくと、ある種の専門家としてのポジションを確立することができ、その結果として
外部での講演依頼
大学での講師依頼(または大学教員への転職)
美術系の専門誌で連載の依頼
本の執筆依頼
公募展の審査依頼
などが、学芸員個人に舞い込むこともあるのです(いま私に来ているという話ではないよ)。
つまり、美術館に帰属する職員(公)として働くことが、そのまま個人(私)の評価を上げることにも直結しているのです。ここは不可分です。
だからこそ面白いと感じるし、やりがいがあることは否めません。
(だって個人名は一切出さず、学芸員Aとして仕事しろ、と言われたらきっと意欲が下がります、私は)
で、ここからが落とし穴の話です。
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