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|003|本間智希/駆け出しの建築史家/33歳

中学時代の担任が国語の教師で、自分の人生で数少ない恩師と慕う尊敬する女性だった。建築の道に進まなかったら国語教師になっていたと思う。

人一人の一生よりも長い寿命のものづくりに憧れて建築の道を志したが、理系で工学のはずが、気づけば建築史研究室の門戸を叩き、史料や古文書を読まねばならなくなった。大学院の時は、週に最低1日は開館から閉館まで大学図書館に1日中こもっていた。建築の棚は片っ端から読んだし、文化芸術、デザイン、歴史地理、哲学、小説、随筆、雑誌のバックナンバーなど、自分の興味の赴くままに手当たり次第、様々な分野の本を手にとっては貪るように読み漁った。
読む、という行為が正しいかどうかは分からない。頭から一字一句を読み進めるというより、表紙や装丁を愛で、奥付をチェックし、目次を眺め、一気に斜め読みをし、最後に掲載されている同出版社の関連図書から芋づる式に次なる興味へ繋げた。建築史の道に進んで、本は読むものというより、辞書のように引くものとして使うことが圧倒的に多くなった。

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学生時代から食費を切り詰めてでも本を買ってきた。公費で買うと所属が変われば手元に残らないので、フリーランスにとって身銭を切るのが当たり前だった。
自宅では、何かのきっかけに「あの本のあの辺りに書いてあった、載ってたな」と記憶の片隅に触れ、すぐ引き出して参照できるような環境にしている。八畳間に本棚を自作した2列分が、主に自分の「記憶の収蔵庫」になっている。
何処でも手に入る赤松の角材とラワンランバーコアの板材を、ビスで緊結してL字金具で補強しただけの本棚だが、蔵書に合わせて高さを計算してあるので不定形な本でも配架できるように都合を付けている。筋交いを入れないと構造上不安なものだが、2つの本棚を1番上の棚板から板材で繋げロの字型にしているため、構造的にもまず安心だろう。床が抜けないかだけが心配である。
デスクワークしながらも手を伸ばせばすぐ届く範囲に、特に参照頻度の高い辞典扱いの本を配架している。たとえば今和次郎や宮本常一を研究していた大学院の時に入手した『生活学事典』は、かれこれ10年来の相棒である。

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本も建築と同様、人間の一生よりも長い寿命を持つ。本は頁を開かない限り、棚にいる間は死蔵状態でしかなく、人によって開かれ読まれて、初めて知を共有する財産になる。たとえ個人の蔵書であっても、コレクションのように独占したまま自宅の書棚の肥やしにしていても意味はない。あの世に本は持っていけないわけで、建築と同じく本も、いつか所有者が死んでも、次の誰かに継承されるべきものだと考えている。
そういう意味では、建築と本は似た境遇なのかもしれないと、ふと思う。


●棚主プロフィール

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本間智希/駆け出しの建築史家/33歳
1986年生まれ。早稲田大学建築史研究室を修了後、2013年に単身京都へ。フリーランスとして建築リサーチ集団RADに参画。奈良文化財研究所文化遺産部での職業研究者を経て再びフリーランスに出戻り。北山杉の里・中川で古民家を購入し、一般社団法人北山舎を設立。京都工芸繊維大学に博士後期課程で在籍しながら、学術と実務の両面から建築史や文化的景観にアプローチしている。風土公団という解体前の現場で活動する結社の団長。タイルに目が無い。

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