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§6.1 解釈如何でねうちが違う/ 尾崎行雄『民主政治読本』

解釈如何でねうちが違う

 私は前章で新憲法をほめちぎった.しかし,この立派な憲法の本当のねうちは,その文章自体にあるのではない.これをどう解釈するか,これをどう運用するかによって,そのねうちは大変ちがったものになると思う.
 例えば第29条で“財産権はこれを侵してはならない”と規定して,一応,その安全を保障してはいるが,同条の第2項に“財産権の内容は公共の福祉に適合するように,法律でこれを定める”とあって,この公共の福祉という字句の解釈次第で,財産権の実体には大きな変化が生ずることになる.すなわち,公共の福祉とは現在の社会秩序を維持することであると保守的に解釈すれば有産階級には有利であるが,現在の社会秩序を破壊して民衆本位の社会秩序を打ち立てることが,公共の福祉であるという革新的解釈をとれば,無産階級に有利である.
 また第27条で“すべての国民は勤労の権利を有す”と保障しているが,その勤労の権利をどう解釈するか.これを単に働くことを妨げられない権利というような消極的解釈をとって運用するのと,これを就職の権利,家族とともに人間らしい生活ができるだけの収入のある仕事にあり付くことを要求する権利というように,積極的解釈をもって運用するのとでは,勤労権の実体が月とすっぽんほど違って来る.
 また第28条の団体交渉権乃至(ないし)団体行動権も,積極的に解釈して,生産管理乃至(ないし)業務管理を認めるか,消極的に解釈してこれを認めないかでは,その実体が甚だちがって来る.そしてその解釈と運用を決定するものは法律と政府である.そしてその法律をつくる立法府の議員を選ぶ者は有権者である.ゆえに憲法に規定してある,各種の国民の自由乃至(ないし)権利の実体を消極的に解釈し運用するか,または積極的に解釈し運用するかを決定する最後の決定権は有権者にある.そこに民主政治の有難味があり,そこに主権を有する人民の尊厳がある.
 この辺の筋合いをのみこんで,憲法で与えられた権利自由をよりよく保持してゆこうと発奮し努力する人間でなければ,ちょうど猫が小判のねうちを知らず,豚が真珠のねうちを知らないようなもので,とうていこの憲法のねうちはわからないであろう.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年2月26日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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