野球の神様⑱

もう一回気合入れ直すぞ!という気持ちの中での「全治3ヶ月」はさすがのバットくんにもこたえたみたいだ。

冴えない顔を浮かべ、日々焦りと不安の感情に苛まれている様子が見てとれる。


かなり落ち込んでるようじゃなぁ。ちっとばかし悪いことをしてしまっかのぉ。このまま立ち直れないバットくんではないとは思うが、ここは一つ希望の恵みを与えてやるかのぉ。

チームの練習が終わったのは夕方の17:00。この日の練習もバットくんはただ声出しとボール磨きに徹するのみで、練習といった練習は椅子に座ってトスバッティング用の真ん中に丸い穴の空いたネットに、ひたすらボールを投げ込むことしかしていない。あくまで肩や肘の感覚を忘れないための練習であって、実戦の投球とは程遠いものである。

そんなわけで今日もバットくんは浮かない顔をして帰宅する。

「ただいま、、」

「おかえり!」

父は先に家に着いていた。いつもは父親より先に帰るのだが、最近は慣れない松葉杖で、いろいろと考え事をしながら、いつもなら自転車で通る道を帰るため、家に着くのが通常より20分くらい遅くなっている。

「今日もお疲れさんだな。ちょっとそこに座れよ」

「うん」

「最近野球はどうだ?」

いつもならすることのない野球の話を父親がし始める。

「どうだ?って言われても、急になんだよ。別に何もないよ」

「お前ちゃんと野球見てるか?」

「そんなの毎日練習に出てんだから見てるに決まってるじゃん」

「そうじゃねぇんだよ。野球を頭使って見てるかって聞いてんだ」

「頭でってなんだよ。まぁ、あいつはもっとあぁやったら上手くなるのにとか、なんでこういうプレーができないんだとか、見ててそういうのは思うことあるけど」

「それも大事だな。だけどな、そういう表面的な部分だけじゃなくて、一人一人の選手たちの思考を観察してほしいんだよ」

「どういうこと?」

「いいか、野球っていうのはな、技術だけで成り立っているわけじゃないんだ。一つ一つのプレーやバッテリーが投げる一球一球には、そういうプレーをした理由やそういうボールを投げた意図が必ずある。そしてその理由や意図はその選手たちがグラウンドの中で常々考えていることの中から生まれてくる。それが思考だ。その思考をお前がちゃんと選手のことを観察して知ることができたら、ケガが治った後、お前のプレーにもっと幅ができると思わないか?」

「たしかに!」

「ピッチャーの視点に立てば、相手バッターが考えていることを観察によって読み解くことができると、百発百中でそいつをねじ伏せることができるようになる。逆にバッターの視点に立てば、バッテリーの思考を知ることができれば、読み打ちして打率を今よりはるかに伸ばすことができるようになるはずだ」

「そうかぁ。たしかに今まではそんなこと考えてなかったなぁ。相手に勝つためにいかに自分の技術を最強にしていくかってことしか考えてなかった」

戦わずして楽して勝つということも、時には大切なんだぜ。相手の戦略がわかれば自分の技術を100%出さなくたって勝てるようになるんだからな


バットくんの心に一筋の光が差し込んだようだ。彼の目が希望の光で一気に輝いた。

今回ケガをしてしまったのは俺が技術に頼りすぎていたということなのかもしれない。明日から、選手一人一人のクセを観察してノートにメモすることをやってみよう!


バットくんはそう心で誓いを立て、さっそく自分の部屋で何も書かれていないノートを一冊、机の一番下の引き出しの奥の方から取り出した。ノートに被ったホコリを払って、真っ新なノートの表紙に

戦わずして勝つ戦略ノート」と記し、野球のエナメルバックの上にそのノートを力強く置いた。


本当に野球に対する向上心の高いやつじゃ。素直でよろしい。

神様も温かくバットくんのことを見守っている。

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