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【キャリア/転職】終身雇用、安定を捨てた理由②

前回はチームリーダーとなり、コミュニケーションや業務改善を通じて定時操業のチームへと成長する事が出来た話で終わりました。今回はチームリーダーになるために心掛けていたことなどを中心とし、そこから転職に至った経緯についてお話したいと思います。

技術を磨く

 前回のお話で触れていますが、私は塗装職でキャリアをスタートしました。チームリーダーとして認めてもらうためには、背中で見せる技術も必要でした。本によると、10000時間でプロになれるそうです。なので、5000時間でアマチュア、2500時間で特技のレベルにはなれると思います。8時間勤務で2年働けば、日々の労働が6時間だとしても、2年ほどで人並みよりちょっと上のレベルにはなれるでしょう。ただ、これは意識することも重要だと私は考えていました。仕事のクオリティを意識することで、自然と知識、技術、自信がつき、必然的にチームからの信頼につながり、仕事を任される立場になれます。実際、当時の私は入社してから培った知識と技術で、異動後でもすぐに周りに認めてもらうことができ、それが自信へとつながりました。

影響範囲を広げていく

 異動先の職場は最終工程を担当しており、塗装後の検査、軽微な修繕、出荷を担っていました。そのため、班のリーダーを務めるには、これらの業務スキルを身に付ける必要がありました。しかし、塗装工程自体が1日に1枚のパネルを仕上げる内容だったため、新しい工程のトレーニング機会が得られませんでした。
 まず取り組んだのは塗装作業の時間短縮です。下請け会社の作業には無駄が多く、それらを省くだけで1日あたり2~3時間を捻出できました。この時間を新たなスキル習得に充てました。次に、さらに塗装業務を短縮するために、段取り作業を外段取りに変更し、作業時間を増やすことで1枚あたりの処理時間を1時間ほど削減しました。無駄を省き、少しの改善で塗装業務の時間を減らし、後工程の時間を増やすことでスキルを習得し、影響範囲を広げました。
 塗装業務の改善実績もあり、後工程のスキルは人並みでしたが、チームリーダーに任命されました。後工程のスキルは派遣社員の方に教わりました。その際に「仕事は3回で覚える」という教訓を学びました。社会人5年目にして初めて尊敬できる人に出会い、その方は出会って1年ほどで転職されましたが、その能力と論理的な思考は私にとって大きな影響を与えました。

残業”0”へ向けて

 私がチームリーダーになる前は、塗装工程がブラックボックス、その後の工程も出たとこ勝負で、修繕の多寡によって業務負荷が変動していました。そのため、出荷計画も当日に調整するなど、まさにプラン無き職場でした。チームリーダーとなったことで、塗装以外の業務短縮を図るため、修繕工程、出荷工程の担当の部下と共に改善に取り掛かりました。

まず修繕についてですが、前工程(パネル形状が4種類*2工程の8班)の不具合が多く、自分たちではコントロールが難しい状況でした。しかし、前工程には不具合の情報が届いておらず、改善されることもありませんでした。そこで上司に掛け合い、週に一度のチームリーダー以上のミーティングに不具合内容を共有する時間をアジェンダに追加してもらいました。これにより、前工程の方と不具合の傾向を共有する場が設けられ、修繕件数が削減し始めました。

修繕の時間が安定してきたので、出荷計画も当日~翌日までしか立てられなかったものが、1週間分は容易に組めるようになりました。これにより、塗装から出荷に至る工程の計画精度が高まり、チーム全体の残業時間をほぼ0に削減し、定時操業の職場へと成長させることができました。

カイゼンコンサルタントへの推薦

 定時操業でプライベートの時間も充実した日々の中、それまでの業務改善の実績が評価され、カイゼンコンサルタントチームへの推薦を受けることになりました。聞こえはいいですが、カイゼンコンサルタントチームは月に一度各部署を回り、恫喝に近いようなフィードバックで担当班長や職場長を休職に追い込むような部署でした。また、研修をしていた工場と同じですので、通勤も片道1.5時間かかります。無論、断る権利はなく、半ば強制的に4月から3か月間の出張を命じられました。寮に泊まる選択肢もありましたが、当時娘が1歳になったばかりでしたので、通勤を選びました。デメリットばかりを挙げましたが、メリットがあるとすれば、出世が確約されます。出張初日、同じように他部署からも集められたメンバーが5名、コンサルタントチームは5名の計10名のチームでワークすることになりました。主な仕事は2班に分かれて現場巡回を行い、カイゼン状況を見て回ること、1.5カ月に一度ランダムに選ばれ、現場へ入りカイゼンを行いプレゼンを行うというものでした。幸いにも私はコンサルタントチームの鬼教官に気に入られ、プレゼン資料の作成など、怒鳴られながらも手取り足取り教わることができました。今となっては良い時間だった? そうでもないですねw

社会における自分の立ち位置

 当時30代で、年収は500万ちょっとあり、マンションを購入し、娘もおり特に不自由なことはありませんでした。しかし、専門卒だったので、会社でのゴールは見えていました。だいたい年収で言う1000万あたりです。役職も班長、職場長、係長が限界でした。ふとした時に、大企業における自分は社外でも通用するのかどうか試してみたいと思うようになりました。そんな折、通勤も長かったので、読書やニュースを見たりしている中で"カイゼン"の記事を見つけました。それまで改善は製造業のみでしか使えないと考えていたので、雷に打たれたような気持ちになったのを覚えています。ニュースアプリでさらに記事から求人へ応募できたので、すぐに応募しました。翌日電話があり、業務の話など簡易的な審査があり、簡単な経歴書を送り、書類面接へと進みます。結果はNotでした。その時、転職への熱量はなかったものの、悔しさと同時に自身の力はどこまで通用するのかを試したくてふつふつとしてきました。エージェント登録や説明にその週末に行ったことは言うまでもありません。私は自分がNotだった会社に自分を認めさせたいと思い、エージェントへもその旨を伝えました。別の部署ではあるが、求人の存在を知り数日後再度電話面接に挑むことになりました。結果はパスでした。その後、対面での面接があり、職務経歴書の提出と面接の日程調整を行い、翌週には面接会場である大阪の中島橋へ赴いていました。面接の詳細などは別記事にしたいと思います。結果は言うまでもなくパスでした。

前職での学び

  • 思い立ったら行動してみること

  • いつも学ぶ姿勢をもつこと

上記2点は今も仕事に活かされています。行動と学びは悪いことには繋がらないように思います。新しいことに挑戦すること、現状に満足しないこと、これらを大事にすると人間的にも魅力的になれるのかなと思います。
次は転職してから今に至るまで昇進のお話をまとめたいと思います。
最後に当時読んでいた本で面接でも話しのネタにしたものを以下に載せておきます。


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