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イチコ、母になる。

今日はそう、2024年3月。ひな祭りも終えた頃。フランスにおけるガイコクジンイチコは母になって、はや2年となる。

はて、イチコが母?仏人パートナーの娘たちに振り回されながら、ああ、腐っても私は日本人なんだな、と思い知らされたり、異国の地でサウンドバッグのようにバスんバフんボフンブン!と、ただ揺れているだけだったイチコが?

はい。ではなぜこの人生いち大事なることを今まで書かなかったのか。それは言わずもがな、この2年間、わたくしイチコは心身共に余裕など微塵も無かったからで、気づけば今にタイムスリップしていたのでした。

時は遡って2022年4月。パートナー・マキシムの誕生日を祝うという口実のもと、レストランで暴食したことが原因(とイチコは確信している)で破水し、そのまま病院へ。その後49時間の戦いの末、頭を吸引されながら

「も〜そんな急かさんといてや。まだここでのんびりしたいのにホンマ食いしん坊やで〜やれやれ」

と、言ったかどうかは知らないが、そんな感じで、娘メイは生まれた。吸引のかいあって、三角の頭で生まれた。

出産直後の身体はボロボロだが、生まれたてホクホクの娘の寝顔は、その傷を癒すかのように沁みてくる。沁みすぎて涙の夕暮れ時を過ごすこともあるが、果然それでも、助産師さんたちの言葉は聞き逃すまいと必死である。母国語が一切無い場所での初産。寝不足で思考力爆低下の脳みそは、

「少しでも聞き間違えれば、娘の生死に関わるぞ!母イチコよ!」

の一心で躊躇なく叱咤してくる。イチコはガルガルしていた。出産するリキみ方だって、分娩台に乗ったその場で初めて説明を受けて、なんとかできたではないか。必死になれば、なんかようわからんフランス語もなんかようわからんなりになんとかなる、知らんけど。とりあえず赤子に集中しろ!気を緩めるなイチコ!おまたが超痛いぞイチコ!!

そんな入院生活が1週間程続いた後(メイに黄疸が出たので長引いた)、自宅に戻った。その後も、母なる本能の叫びはやまず、愛くるしいメイを心から堪能できていたかどうかは今となってはわからない。とても短い乳幼児期を、親として大事に過ごしましょう、なんてよく聞くけれど、余裕がないとそれすら難しいことを知る。

一方、そのイチコの奮闘もお構いなしに、メイの誕生に大きな嫉妬の炎を巻き上げている人物もいた。そう、マキシムの娘エマである。実はその炎、イチコがここへやってきた当時からずっとメラメラしていたのだが、それがメイの誕生をきっかけに爆発してしまったのだ。

「パパは私のこともう好きじゃない!私の居場所がない」

パパからの愛情不足がゆえの、イチコとメイに対する拒絶。嫌悪。そして憎悪。そのことが、向こう2年間の私たち日仏カップルにも大きな傷を負わせることになる。妊娠・出産に加えて、文化の違うもの同士のステップファミリー。であるがゆえの難関。

『怒りで身体を振るわせる』
『涙で枕を濡らす』
『私なんて消えてしまえばいい』

どこかで読んだことがあるような小説のフレーズを、実際身を持って体験してみると、こんなにしんどいものなのか、と気づく。

『あなたの寝顔で全てが吹っ飛ぶ』
『きみのためなら私の命だって』
『愛してる』

以前なら薄っぺらい表現にしか聞こえなかった言葉が、こんなに深く重く感じるものかと驚く。

イチコは、自分がますます弱くなっていくように感じ、ゆえにそんな自分を守ろうと、心を硬くしていく。幸せに生きることは、意外と難しい。はたから見れば、なんて幸せそうな、と思う人でも、それが本当かどうかは本人しかわからない。というか、自分を幸せにできるのは自分しかいないのだが、それを他人に求めざるをえない人間とは、なんて欲深い生きものなのか…

この難関を乗り越えたところで、新たな生きるよろこびに出会えるのかもしれないが、そこへ行くまでの道のりはまだ遠く険しく、正直、迷っている。であるからしてとりあえず今できること、イチコの幸せ案内人であるメイを愛しぬくこと、を決めた。ということで、ではその小さき案内人の世にも楽しい姿をご紹介… というのはまた、次のおはなし。

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