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だいじょうぶだぁ、じゃなかった。

イチコは、かなしい。

なぜなら、志村けんさんが亡くなったから。享年70歳。新型コロナウイルスによって、突然もたらされた訃報。子どものころ、新聞のテレビ欄に『志村けんのだいじょうぶだぁ』を発見すると、なにがなんでも見逃すものか!と、かじりつくようにテレビの前を陣どった。放送がはじまると、テレビ欄で見つけた時から覚悟はしていたものの、腹を抱えて死にそうになりながら、もうやめてくれー!と悲鳴を上げながら、志村けんさんの勇姿を見ていたのを思い出す。

その訃報を速報で知った時の、ハリセンボンの近藤春菜さんのコメントをYouTube動画で聞いたとき、イチコも彼女と一緒に、ものすごく、泣いていることにイチコ自身とてもおどろいた。バカ殿様を見て「アホや〜アホすぎる〜」と、泣きながら笑いころげていた子ども時代(今の年齢で見ると、気になるところが何かあるかもしれないが、それは置いておいて)。志村けんさんとイチコは、ただそれだけのご縁なのだけれど、それがイチコにとってどんなものだったのか。今、イチコにあるこの感情が、彼の偉大さを物語っている。子ども当時、このかなしいお知らせを、日本からはるか離れたパリで知り、しかもそれがこのような突然の訃報になるなんて、だれが想像しただろうか。

マキシムはもちろん、志村けんさんのことは知らない。となりに、イチコのこの感情を共有できるひとは、今いない。でも、心がとてもざわざわとするから、ひとりで、どうしよう、と思う。ひとりでもいいから、お悔やみを申し上げたいと思う。

コロナウイルスで亡くなった場合、感染を防ぐために、その家族は、亡くなった方の顔を最期に見ることも、火葬に立ち会うこともできないのだという。当然、闘病中も、面会を許されることはなかっただろう。

今、イチコの両親が、遠く離れた日本でそんな状態になったら、と、想像するだけでゾッとする。4月に一時帰国する予定だったのもキャンセルとなり、次はいつ日本に帰ることができるのか、それもまだわからない。不安はつのる。

止まない雨はないから、終息の日はいつか必ずやってくるのはわかっている。そこに、すこしでも早くたどり着くために、できる限りのことをする。地球のみんながひとつにならないとたどり着くことができないその日の、雨の止んだ日のおはなしを、1日でも早くできますように。

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