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ゆく人くる人 【短編近未来ファンタジーノベル】

 それは大晦日の夜、折しも外では雪が降り積もり、一際静かな時を迎えていた。

 「ほら、年越し蕎麦をカイトが作ってくれたよ。冷ましてあげるから、慌てないで食べようか。」

 息を吹きかけながら、年老いた妻の口元に少しづつ蕎麦を運ぶ。無表情のままそれを受け入れる妻。

 「どうだい?美味しいかい?」
 「…ありがとうございます…ところで…どちら様でしょうか?…」

 半ば諦めた表情で小さく溜息をつきながら、夫は優しく微笑んだ。

 「敏夫だよ、あ、ほらまたこぼしちゃったね、ゆっくりでいいからね、慈子。」

 カイトが脇から素早くエプロンに落ちた蕎麦を拾っていく。

 「ありがとう、カイト。お前も今日が最後なのだから、ゆっくりオイルスープでも飲んでいていいんだよ。」
 「いいえ、ご主人様、最後だからこそ、しっかりお世話をさせてください。」
 「お前にはこの一年、本当に世話になった。感謝してるよ。まだまだ一緒にいたかったのに、なんでこんな…」
 「…それが決まりですから…」

 そう言いながら床を拭いているカイトの背中も、どこか寂しげに見えた。その首筋にはKT8974と刻まれたプレートが埋め込まれていた。

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 20XX年、人口が激減した世界において、人類の諸活動の補助役としてアンドロイドが共存するようになっていた。特に高齢者世帯には、介護のためのアンドロイドが国から貸与されていた。

 彼らアンドロイドは、従順なだけでなく、優しさや思いやりも必要なために、繊細な喜怒哀楽を感じる感情回路が埋め込まれている。外見も人間に不快感を与えないように、美しく整えられているのは言うまでもない。

 しかしそれ故にこの時代、人間との不要な軋轢を避けるために、アンドロイドには様々な制約が課せられていた。一年毎に業務に必要なものを除いた記憶は消去しなければならない法律も、その一つである。それは介護用アンドロイドでも例外ではなかった。

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 「今年の初めには慈子の認知症もここまでは進んでいなかった。私もまだ多少足腰は動かせたし、お前にはいろいろなところに連れて行ってもらったね。」
 「はい、お陰様で、私も楽しゅうございました。」
 「近場の公園から美術館やコンサート、野球の試合。時には温泉にも行った。あの時は慈子が一時行方不明になって、大騒ぎだったな。」
 「はい、さすがにあの時は肝を冷やしましたね。」

 サイドボードの上には三人で写った写真がいくつも並べられていた。それを眺めながら敏夫が言う。

 「ねえカイト、私達には子供もいないし、この歳になって友だちももう一人もいない。妻がこうなってしまって、今の私にはこんな思い出話を一緒に話せるのはお前だけなんだよ。」

 黙って頷くカイト。

 「つくづく思うよ。人は思い出を共有できる存在がいて初めて、自分がこの世に存在していた証を感じることができるんだって言うことを。」

 悲しそうな表情のカイトに気づき、慌てて言葉を継ぐ敏夫。

 「ああすまん!今日で記憶を消されてしまうお前に言う言葉じゃないな、申し訳ない。」

 「いいえ、ご主人様、私が悲しいのは自分の記憶が無くなることではありません。ご主人様のお話し相手を務めさせていただけるのも今日限りかと思うと…とても…辛いです…」
「カイト…!」

 敏夫は涙を流しながらカイトを抱きしめた。

 「お前は今までのどのアンドロイドよりも、よく尽くしてくれた。本当に、本当に自分の息子のように思っていたよ。」
 「ありがとうございます、ご主人様。でも明日の朝には新しくお仕えするものがやってまいります。私のことなど、すぐにお忘れになることでしょう…」

 寂しい気持ちを吹っ切るように時計を見やりながら、カイトは敏夫に告げた。

 「そろそろ時間です。アンドロイド労働管理局に戻らなければなりません。今まで本当にありがとうございました。」

 深々と一礼をして、カイト、いやKT8974は雪の降る夜の闇に消えていった。敏夫は涙を流しながら、その姿が見えなくなるまで見送っていた…

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 明けて元旦の朝は雪も上がり、清々しい空気が漂っていた。敏夫は慈子をダイニングまで連れて行くと、動かない脚を引き摺りながら、ゆっくりと朝食の支度を始めた。テーブルの上にはお節料理のお重が置いてある。

 「明けましておめでとうだな。ほら慈子、カイトが作ってくれたお節料理があるからいただこうか。」

 小皿に少しづつ盛り付けをし、慈子の口に運ぶ。しばらく無表情で味わっていた慈子だったが、突然敏夫の顔を見つめて言った。

 「あなた、今年の黒豆はとてもよくできたわね!うん、美味しい。私の腕もまだまだ落ちてないわ!」

 嬉しそうに黒豆を頬張り始めた慈子に戸惑う敏夫だったが、ふとお重の下に挟まれていたメモに気がつく。カイトが書いたものだった。

 『このお節料理は、奥様が料理ノートに残されていたレシピを元に作らせていただきました。残念ながらご同席させていただくことは叶いませんが、どうぞ素敵なお正月をお過ごしくださいますよう。』

 どうやら一年ぶりに味わう懐かしい料理の味と香りで、慈子の記憶が戻ってきたようだった。

 「カイトの素敵な置き土産だな。ありがとう、カイト。」
 「カイト?カイトはどこ?どこにいるの?」

 敏夫が慈子に説明をしようとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。そこには入れ替わりにやって来たというアンドロイドが立っていた。

 「初めまして。KT8974です。今日からお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。」
 「カイト!カイトじゃないか!なんでまたお前が⁈」
 「…いえ、私はKT8974と申します。派遣先は労働管理局がランダムに決定しておりますが、今朝こちらに来るようにと命じられやってまいりました。

ただ…。」

 アンドロイドは涙ぐんでいるようだった。

 「…どうした?」
 「ただ、カイトという名前を聞くと…なぜだかわかりませんが懐かしく嬉しい気持ちになって、涙が出てまいります…」

 敏夫は優しく微笑むと、カイトを家の中に招き入れた。

 「よく来たね。今日からまた新しい思い出造りをしよう。もちろん三人でね。」

             [了]

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創作サークル『シナリオ・ラボ』12月の参加作品です。お題は『ゆく年くる年』。以前書いた『秋の記憶』という作品の設定を流用しました。よろしければこちらもぜひお読みください。

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