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ハコの中で 【短編近未来ファンタジーノベル】

 底冷えのする冬の夜だった。店のスピーカーからはいつものように、マイルスのミュートトランペットが囁くように響いていた。まだ誰もいない客席を眺めながら、マスターは軽いため息をついた。

 「いよいよだな…」

 愛おしむように何度も何度もカウンターを磨く。その時入り口の扉が開き、歳の割には派手目な姿の老人が店に入ってきた。

 「おう、聞いたぜ、マスター。店閉めるんだってな!」

 「ああ、ゲンさん…そうなんですよ…」

 ゲンと呼ばれた男、若い頃はジャズピアニストとして、ちょっとは鳴らした存在だった。この店でも、何度も演奏したことがある。

 「いつものバーボンですね?」

 「ああ、今日は寒いからダブルでな。もちろん、ストレート、ノーチェイサーさ!」

 ジャズの曲のタイトルにかけた、ゲンのいつもの決まり文句を軽く受け流し、マスターはグラスにウイスキーを注ぐと、ゲンの前に差し出した。ゆっくり味わうようにグラスを傾けるゲン。

 「なんだってまた閉めちゃうんだよ、こんないいハコは、もうなかなかないぜ。ちょいと古くて狭いけど、音の響きは最高なのに。」

 少し寂しそうな表情のマスター。

 「お決まりの再開発ってやつですよ。まあ、建物自体も相当老朽化してるんで、次にちょっと大きな地震が来たらホントにヤバいですし。潮時かなと…」

 店内を見渡しながらゲンが呆れるように言う。

 「それもそうかもしれねえが、ぶっちゃけ客もいねえしな!」

 「はは…お客さんもそうですが、演奏する人もね…」

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 20XX年、Jazzは、世間から忘れられた音楽になっていた。AIにより流行りの曲は無尽蔵に提供され、人々はそれを消費するのに精一杯だった。今では生演奏が聴けるのは、一部のクラシック音楽と伝統音楽のみとなり、それはそれで珍重されていたのだが、もはやJazzは聴く事も演奏される事もなくなっていた。

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 「あんだけあったジャズバーもジャズクラブも、今やここと後数軒しか残ってねえしな。聴くやつも演るやつもいねえんだからしょうがねえけどよ。」

 「本国アメリカじゃ、もっと悲惨らしいですからね。今じゃ博物館の中にしか、その痕跡は残ってないみたいですよ。」

 ゲンが苦虫を噛み潰したような顔でグラスを煽った。

 「それにしても、マイルスがあんな若死にしてなきゃなあ、長生きしたコルトレーンに好き放題やらせてなかったろうよ。」

 「そうですねえ。コルトレーンがフリージャズの王者として君臨していた時代が長すぎましたからね。あれで誰もJazzなんて見向きもしなくなってしまった。」

 「ああ、マイルスなら新しい時代に合わせたJazzを造ってくれたんじゃねえかと、オレは今でも思ってんだよ。」

 黙々とグラスを磨いていたマスターが、意を決したような表情でゲンに向き直った。

 「ゲンさん、もうこの店もなくなっちまうんで、最後に特別にゲンさんにだけお見せしときますよ。ワタシしか知らない秘密なんですが…」

 「な、何だよ、あらたまって…」

 戸惑うゲンを誘ってバックヤードの薄暗い通路を通り、さらに階段を降りていく。すると少しずつ生々しい音が聴こえてきた。Jazzだ。いったい誰が演奏してるんだ?訝しがるゲンに目配せすると、マスターは一番奥の扉をそっと開けた…

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 鮮烈な音が飛び出してきた。ステージ脇のカーテンに隠れて、二人は中を覗き込む。

 「な…なんだいこりゃあ…いったいぜんたい、ここはどこなんだ⁈」

 「ニューヨークのジャズクラブ、Village Vanguardですよ。しかも1958年のね。」

 「…な…なにい?」

 「ほら、ちょうどマイルスのバンドが入ってるみたいです。」

 呆気に取られるゲンをよそ目に、マスターが軽くマイルスに手を挙げる。それに気づいたマイルスはうんざりした顔をしながらも、ウインクを返してきた。そしてまたマウスピースに唇を当て、圧倒的なトランペットのソロを始めるのだった…

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 店に戻ってもなお放心状態のゲンにバーボンのお代わりを差し出しながら、マスターが話し始めた。

 「この店を引き継いでしばらくした頃ですよ。先代のマスターからは、下の階には行くなと釘を刺されてたんですが、そう言われると覗いて見たくなるものでね。そりゃ最初は驚きましたよ。まさか時空を超えて繋がっているなんてね。こんな事、とてもじゃないが人に言えやしない。でもそれ以来、折を見て下に降りて行っては、Jazzが一番輝いていた時の音楽を生で聴いて、一人元気をもらってたんです。」

 「だ…だけどよ、おめえ、この店閉めちまって、この建物も取り壊されるってことは…」

 「そうですね、あのハコに繋がっている扉も無くなってしまうでしょうね。でもね、ゲンさん、ワタシはそれでいいと思ってるんですよ。」

 「なんでまた…もったいないじゃねえか。」

 「あのハコは、いわば博物館ですよ。Jazzは博物館に入っていていい音楽じゃない、今この時代にこの時代のJazzを生でやらなきゃ意味がないと思ってるんです。ワタシは諦めてませんよ、いつか必ず新しい人達に引き継がれて、Jazzは復活すると…」

 その時だった。店の扉が開き、一人の若者が入ってきた。トランペットのケースを抱えている。

 「あのお…すみません、ここでJazzを演奏できるって聞いて…」

 ゲンとマスターは顔を見合わせて笑い出した。

 「をを、よくきたな、若えの!おめえも奇特なやつだな!よっしゃ、一丁合わせてみるか!」

 マスター、ピアノ借りるぜと、言うが早いかピアノの蓋の埃を払いながら、ゲンはピアノの前に座る。

 「おいおい、まったく調律してねえだろ、マスター!しょうがねえなあ。」

 マスターは笑いながら黙って店の隅に立てかけてあるウッドベースを持ち出し、アンプにセットする。

 ちょっとホンキートンクなピアノの音と、ちょっと辿々しいトランペットの音色が合わさり、冷え切っていた店の空気を暖めはじめた。消えかけていた小さな灯りがそっと再び灯るように。


[了]

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創作サークル『シナリオ・ラボ』11月の参加作品です。お題は『箱の中』。

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