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少年院出身ガチグロくんの回想

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人によって家庭というものは残酷なものである。 愛を学べる子もいれば恐怖を植え付けられる子もいる。 家族とは何か?親とは何か? ガチグロくんの考えが書いております☺️
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記事一覧

ガチグロくんの回想 6

笑ってなきゃやってられない。いつもいつもそう思う。だから私はニコニコする。

あるところとはそれなりのところである。
そこでの事はここには書かない。
あるところを経て私は日高方面の家がなかったりどこにも行き場がない者たちが集まるところへ入った。
私も同じく家がなかった。帰るところがなかった。同じような境遇で皆私と同じであれに荒れていた。かっこよく言うと水滸伝の梁山泊。
ストレートに言うと社会から見

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ガチグロくんの回想 5

私は4月から鉄骨鳶の仕事についた。
仕事は嫌いではなかった。
遠軽を出た後家に戻った私はまた最悪な環境に戻った恐怖と不安しかなかった。
毎日思うのである。今日俺は何を失うのだろうか、、、
得ることはなかった本当に失うことばかりだった。
義理の父から全裸で外に逃げることもあった。死にたい、消えたいと思っていてもいざその感覚が迫るととっさに逃げていた。
私は生きたいと思ってたのだと思う。
こんなままで

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ガチグロくんの回想 4

先輩達がいなくなった寮では自分が一番年期の長い寮生となった。
家庭学校では寮で一番年期の長いものが上になるという風習が当時あった。
そこでもちろん一番年期の長い私が一番上になるのだが実際私がその立場の代は特別私が一番上ということはなく私に敬語を使うものもほとんどいなかった。
私は敬語を使われるのがとても苦手であのような上の者にはなんでも優先、敬う、などということが嘘っぱちでありこの世の中の悪習だと

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ガチグロくんの回想 3

当たり前の事をする、当たり前の生活をする。
その事が頑張るという事だと最近特に思わされている。

遠軽家庭学校へ私は送られた。
そこには北海道中からなんらかの問題を抱えた者が集まり毎日仕事と寮生活、勉強をして生活している。
私が入所してまず配られたものは布団一式、長靴、作業帽、作業着上下、軍手と聖書に讃美歌だった。

そして寮長から施設の決まり、それを破った時の罰則、を告げられた。

ああ俺は来た

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ガチグロくんの回想 1

私は児童相談所から始まり児童自立支援施設(俗に言う教護院)少年院とそのほかにも色々と入所退所を繰り返してきました。
その中で沢山学びや経験と自信の思想が出来上がりそれを活かして今後の社会生活をしていこうといています。

私がなぜこのような体験をしてきたかというと主に自分の生まれた環境にありました。
自身の問題ももちろんあります。

私は今プロボクサーを目指して東京で暮らしています。
その中で出会っ

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ガチグロくんの回想 2

私にとって学校とは辛くありながらも直接的な身の危険が少ない安全な場所でした。
ただ私は人と同じことをするのがどうしても納得のいかない性分でありいつも他から逸脱した生活を送っていました。
なので問題は毎日起こり怒られた記憶しかありません。
自分の学校は私の時代にしては体罰が多く毎日先生に叩かれ授業のほとんどは廊下に立たされていました(笑)
私はそれでいいと今でも思っています。
今の学校が甘ったれてい

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