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6.産業医主役の落とし穴

はじめに

産業医は、職場の上司や、人事担当者、従業員などから色々なことの判断を求められることがあります。

「○○さんを出張させていいですか?」
「△△さんは復職できるんですか?」
「□□について対策は~~でよろしいですか?」

その際に生じるのが、産業医が主役として決定してしまうという落とし穴です。つまり、産業医がその企業の施策や、従業員の働き方を決定するような構図になってしまうというものです。産業医として相談を受けたり、頼られることはとても歓迎すべきことですし、産業医の意見が企業で採用され、その結果として安全で健康的な職場が実現されることは産業医としても嬉しいことです。しかし、産業医はあくまで事業者に助言する立場ですので、産業医が主役となる構図は必ずしも望ましい姿とは言えません。「安全配慮義務の履行」ではなく、「安全配慮義務の履行の補助」を行うのが産業医のとるべきスタンスです。(参照「安全配慮義務の落とし穴」)

法的背景

まずは法律的な背景として労働安全衛生法66条を示します。

(健康診断の結果についての医師等からの意見聴取)
第六十六条の四 事業者は、第六十六条第一項から第四項まで若しくは第五項ただし書又は第六十六条 の二の規定による健康診断の結果(当該健康診断の項目に異常の所見があると診断された労働者に係るものに限る。)に基づき、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、厚生労働省令で定めるところにより、医師又は歯科医師の意見を聴かなければならない。
(健康診断実施後の措置)
第六十六条の五 事業者は、前条の規定による医師又は歯科医師の意見を勘案し、その必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等の措置を講ずるほか、作業環境測定の実施、施設又は設備の設置又は整備、当該医師又は歯科医師の意見の衛生委員会若しくは安全衛生委員会又は労働時間等設定改善委員会(労働時間等の設定の改善に関する特別措置法(平成四年法律第九十号)第七条に規定する労働時間等設定改善委員会をいう。以下同じ。)への報告その他の適切な措置を講じなければならない。

法律のたてつけとして、事業者は医師の意見を聞き、その意見を勘案して、必要に応じて適切な措置を講じる、という構図になっています。

事業者・労働者間におけるコンフリクト

企業側と労働者側の利害は対立・相反することもありますし、適正配置を支援する産業医の立場もそのコンフリクトの中にあります。産業医の意見が過大であれば労働者の働く権利の制限や、キャリア形成を阻害したり、労働者の疾病利得にもつながりえます。(参照「疾病利得の落とし穴」)また、過小であれば労働者の健康を守れないことや企業の安全配慮義務の履行が達成できないことにもなりえます。健康の専門家である産業医の意見が事業活動において常に正しい助言ができるわけではありません。セーフティな産業医の意見を採用したことで企業が損失を被り、つぶれてしまって、結果的に多く労働者が不幸になったり、働く場がなくなってしまっては元も子もありません。(参照「安全配慮義務の落とし穴」)

安全衛生活動の主役は労使

当たり前のことかもしれませんが、企業における安全衛生活動の主役は事業者であり労働者です。産業医が主役ではなく、決定する立場でもありません。その主体性を産業医が担ってしまうことは望ましい安全衛生活動とは言えないでしょう。産業医が全ての業務・事業活動を把握できるわけはありませんし、現場ごとの判断が求められます。そして、多くのリスクはトレードオフの関係にあります。その中で、最終的にリスクテイクして決定するということは事業者が経営判断で行うことです。たまに丸投げされるようなこともあるかもしれませんが、企業の関係者を巻き込んで進めていく必要があるでしょう。(参照:「健康経営の落とし穴」)
なお、緊急事態において、産業保健職ありきの仕組みにしないことも大切です。「応急処置対策の落とし穴」や「熱中症対策の落とし穴」でも言及しておりますので、そちらをご参照ください。

実現可能性を協働して模索する

例えば、労働者の復職後に再発リスクであったり、有害な化学物質による健康障害が発生するリスク、地震などの災害事象におけるリスクといったものは、非常に不確実性の高いものになります。さらに、発がん性のような長期的な発生リスクであったり、大規模災害のような稀な発生リスクを扱うこともあります。その予見可能性を検討した上で行うリスク提起は、ときにその意義が理解されないこと、対策案を採用されないこともあります。また、安全や健康の確保の対策はとてもコストがかかることや(例:局所排気装置の設置や、騒音対策など)、働き方の大きな変更(交代制勤務制などの勤務形態の変更)が必要になる場合もあります。産業医の意見は、あくまで助言という位置付けであり、事業者は勘案はしても、採用しないことも十分に起こりえます。そのため産業医には、企業にとって実行可能性のある意見を関係者と協議し、模索し続ける姿勢が必要になります。産業医の意見が現実と乖離しすぎたり、毎回効力を発揮しなくなれば、産業医の存在そのものが形骸化してしまう恐れもあります。実効性をもった産業医の意見を出すことが、産業医の腕の見せ所と言えるかもしれません。

助言先の「事業者」とは

意見を出す先としての事業者という言葉は、実際の現場では非常に曖昧になりがちです。産業医が対応するのは、管理職や人事担当者が多く、事業者である経営層や事業所トップの方とは直接会わないこともあるからです。そのため、意見書の出し方にも工夫が必要です。メールであれば宛先に事業所トップを入れる、返信を求めるといった工夫や、紙であれば押印欄を設ける、対応事項の返信欄を設けるといった工夫です。システムで発行するのであれば、承認フローに入れるといったことも有効です。事業所のトップの方が、産業医の意見なんて見たこともない、という事態にならないように注意してください。

おまけ

おまけですが、産業医としてのリスク管理として、従業員からの怒りの矛先が産業医に向かわないようにすることも、今回の落とし穴の重要なポイントと言えるかもしれません。この辺りは「産業医の訴訟リスク」や「リスクテーカーとしての産業医の姿勢」にして、また別途ご説明したいと思います。

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