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修身教授録1日1講

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毎日1講読んで、簡潔なまとめと自分の思いをつづってます。3日坊主を克服して学びの習慣を付けるために。
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#修身

修身教授録Ⅱ第9講 情熱

修身というものは何よりもまず人間というものを力強く人生を生きるよう覚悟させるものでなくてはならない。
人間の偉さとは、人生に向ける情熱とそれを浄化する意志力の2つである。
情熱のない人間はでくの坊であって何ら手の下しようがない。
感動できる人間はまだ魂が死んでおらず進歩できる可能性をもっている。
そんな魂は幾つになっても純情な素朴さを失わないものである。
感動が澄んでいくことは無力になるのではなく

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修身教授録Ⅱ第8講 気品

気品とは人間の値打ちの全てを言い表すと言っていい。
気品とはその人の最も深い所から発する内面の香りである。
しかしこの気品は先天的なものが働いていて、人間一代の努力や修養では及び難いところがある。
祖先代々の修養の集積なので、自分が修養を積めば子孫に受け継がれる。
そのためには「慎独」=一人でいる時も己を慎むことが最も大切。

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修身教授録Ⅱ第7講 大志を抱け

志は「立派な教育者」のような曖昧なものではいけない。
「〇〇に〇〇な影響を与える立派な教育者」のようにどういう道を選ぶかを明確に答えられなければならない。
真の志とは、この二度とない人生をどのように生きたら生まれてきた甲斐があると常に忘れないということ。
だから結局は「世のため人のため」という所がないと志とは言えない。

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修身教授録Ⅱ第5講 一つの目標

教員免許を取ることを終生の目標とするような人間は憐れむべき存在。
二宮尊徳や吉田松陰が教育者だったらどういう生き方をするか。
学問修養に志す以上、偉大な先人の歩かれた道を一足でもにじり寄ろうとする気概がなくてはならない。
そのための方法として、40歳になったら1冊の本を書いてみるのがいい。
力強い道を歩いた足跡を記せば書物の一冊にはなる。

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修身教授録Ⅱ第4講 生命の愛惜

「人生二度なし」は生命を愛惜するなら必然と分かる。
しかしその価値は漫然と生きていては気付かない。
四十くらいになれば気付くが、その頃では遅い。
真実の教育というものは、自分の取返しの付かない悔いを繰り返させないという一念から始まる。
生命の愛惜は人間として生まれたことに幸せを感じることから生まれる。

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修身教授録Ⅱ 第2講 立志

一年間の修身の講義は「立志」の一言に尽きる。
しかし真に志を立てることは決して容易ではない。
この二度ない人生をいかに生きるかを定め、その道に立ちはだかるあらゆる困難に打ち克つ大決心を立てる覚悟が必要。
真の志が立ったら、一挙手一投足に至るまで志が表れるはず。
私欲に基づくものでなければ、志は必ず実現する。
大きければ大きいほど時を要し、死後に実現するため、「不滅なる精神」「精神の不滅」と呼ばれる

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修身教授録Ⅱ 第1講 挨拶

師範学校は三年生が一番重要で、またこの学年を受け持つことができてうれしく思う。
人生の真の出発は志を立てることにより始まる。
この出会いは因縁であり、生徒にとっても私にとってもこの1年を意義深いものにしなければならない。

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修身教授録<Ⅰ>第40講 わかれの言葉

一年間共に過ごしたことを無意味にしてはいけない。
教師にとっては、自分の生涯に重大な影響を与えると心して一年間取り組まなければならない。
それにより、講和の内容がそのクラスだからこその趣となる。
生徒の成長に役立ってこそ教師の喜びであるが、その成果は将来になって初めて現れるので、今は一年間共に過ごしこの講義録が残されたことを喜びとする。
教師の仕事は種まきであり苗木を育てるようなもの。
自分の道を

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修身教授録<Ⅰ>第39講 教育の窮極

教育の窮極目標とは、子供一人ひとりを次代を担うかけがえのない生命であると身に染みて痛感することである。
そのためには
1.生徒一人ひとりをひとつの生きた魂として抱くこと。
2.生徒が親にとってかけがえのない存在であることを真に実感すること。
3.生徒一人残らず国家を担う大事な人間であることを真に実感すること。

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修身教授録<Ⅰ>第38講 小学校教師の理想

立派な教師と一言で言っても、子供たちに親切に教えるレベルから、子供の両親・兄弟・近隣の人までが心動かされるレベルまでありはっきりしない。
そのような中で理想を明確に定めなければならないが、それは教育によって地方に民風が起こり、町村が根本から立て直されるような教師になってこそ、理想をほぼ実現できる。
そのためには、目の前の子供をただ教えるのではなく、その子供の数十年先の姿をイメージしながら教えること

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修身教授録<Ⅰ>第37講 死生の問題

死に対して自分の心の腰が決まって初めて真の人生が始まる。
日本人としては、天から与えられた力の一切を国家社会のために捧げ切るところに真の死生を越える道がある。
そうして生に徹していると、そのように生き切ったという無限の喜びが死への恐怖を超越し、死生は別物ではなくなる。
そのように生きなければ、死ぬ時に必ず悔いが残る。
日本人として最高の生き方は、死んでからも尚国家社会に貢献すること。
そもそも生き

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修身教授録<Ⅰ>第35講 為政への関心

白河楽翁公は教育者というより経綸の人と呼ぶのがふさわしい。
(経理:国家を治めととのえること)
偉大な教育者にして経綸の大志を抱かなかった人はいない。
例えばペスタロッチーは宗教を通じて人間を救済するために神学を志し、形式化した宗教に限界を感じて社会改革者を志し、そして人間の魂に根本的な革新を与える教育こそが人間の救済であると到達した。
つまり人間救済に対する偉大な情熱がなければ真の教育者にはなれ

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修身教授録<Ⅰ>第34講 国民教育の眼目

真の教育とは相手の眠っている魂を揺り動かし呼び醒ます所までいかなければならない。
そのためには教師自身が全力を挙げて自分の道を歩む信念が必要。
わが国の教育の一番の問題はこういう教師が不足していること。
結局「志」に帰結するが、その志が生徒に与えられていない。
人間とは自分の欠点に気付いた時点でその欠点を越えようとしている。
その生ぬるさを克服しようと日々思い詰める、その力こそが内面的な力を与え将

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