修身教授録<Ⅰ>第37講 死生の問題

死に対して自分の心の腰が決まって初めて真の人生が始まる。
日本人としては、天から与えられた力の一切を国家社会のために捧げ切るところに真の死生を越える道がある。
そうして生に徹していると、そのように生き切ったという無限の喜びが死への恐怖を超越し、死生は別物ではなくなる。
そのように生きなければ、死ぬ時に必ず悔いが残る。
日本人として最高の生き方は、死んでからも尚国家社会に貢献すること。
そもそも生きている間は衣食住のためにどうしても御厄介にならなければならないので、真の御奉公は死後になる。
生きている間に全力を挙げてこの世の務めを尽くす、それが悔いなく安らかに死ぬ唯一の方法である。

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死生観についてはちょうど最近、YOASOBIの『夜に駆ける』を題材にまとめたところです。
https://note.com/gachapin1980/n/n7f2bf7806092

上記の私の死生観をざっくりまとめると、意味のない生を送るくらいなら死んだ方がマシということです。
なので基本的には森先生の死生の問題には共感します。

ただこの死生の問題を読んだ時、処刑を恐れず志を貫いた吉田松陰とか、御奉公のために生涯独身を貫いた石田梅岩が思い浮かびました。
しかし私は彼らのようには生きられません。
その至誠の域に到達することもさりながら、妻子がいながら一つの道だけを追うことはできません。
妻が幸せに暮らし、子供や孫が社会で正しく生きる力を身に着け、自分は仕事や生き方でそれを実現すること、これが私の生きる意味です。

今の私に足りないのは、仕事について自分が死ぬまでに何を為し、後世に残していくのかのビジョンがないことです。
それでは真の仕事の道を歩めないので、一度しっかり考えてみなければなりません。

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