私にとって今回のコロナ騒動とは、自分がこれまで感じてきた日本社会や日本人への違和感が、正しかったのかを確かめるための答え合わせの時間であった。
「違和感を感じるのが、人間として正常である」が解答だった。
正解だ。
といっても、私は勝ったと誇らしく思う気持ちや、他人に優越感を感じることはない。
日本社会や日本人がずっと前からまともでないことなど、ちょっと調べて、考える習慣があれば、誰でもわかる。
「やっぱりそうだったのか」と淡々と受け止めている。
さて、5月8日を境にして、コロナ騒動を振り返り、たくさんの人が今回の騒動をSNSで総括していた。yoshiumeという方のツイッター投稿が、私の考えに一番近かった。
引用する。
特に私からコメントを付け加える必要はない。
言い尽くされている。
そして、内科医の端くれ氏の投稿が伝える医療現場の今を見ると、南雲氏が言う「馬鹿には何を伝えても無駄だということを知らなかった私が、最も馬鹿だったということを思い知らされただけでした」という感慨を私も抱く。
南雲氏のような書き方は、上から目線すぎると感情的になる人もいるだろう。
だが、ワクチン未接種者をゴキブリ呼ばわりして、マスクをしない人を公衆衛生の敵だと罵った日本人がいたではないか。
私も善意でワクチン接種のリスクを話しただけでいろいろ言われた。
日本人の救いようのない醜さや浅ましさに、私は怒りの感情はもはやない。
絶望することにも飽きてしまった。
ところで、私の家の近所では、マスクをつけ、足をひきずりながら苦しそうに歩いている老人が最近非常に増えている。
コロナが始まる前、彼らの多くは元気そうに散歩をしたり、自分の家の庭でミニトマトを作っていた。
ワクチン接種の結果で歩行障害になっているのでは、とお年寄りたちは夢にも思わないだろう。
最後になるが、これからの残り少ない人生、日本人と極力関わらないでどうやって生きていくかが、私にとって重要な課題となった。
しかし、田舎の限界集落に移住して、恨みつらみのネガティブ感情にまみれた孤独な世捨て人に、私はならない。
それでは、あまりに自分がみじめだ。
大隠は朝市に隠るという言葉のごとく、大都会の雑踏に隠れ、マスクをつけた物言わぬ羊たちのこれからの毎日を、この目でしかと焼きつけることにしたい。
しなやかに、したたかに、しぶとく生き抜いて、日本社会と日本人の悲劇的な結末を共に生きることが、私の最後の使命かもしれない。
2023/5/16 追記
NHKがワクチン接種で亡くなった方の遺族を取材したばずなのに、夜のニュース番組ではコロナで亡くなった人の家族であるかのように捏造・歪曲して放送した。
私は日本メディアの極悪さは、北朝鮮よりはるかに上だと何度も書いた。
またよい実例が出てきたので、元総務大臣原口一博氏と漫画家倉田真由美氏のツイートを引用しておこう。
もっともこの程度の悪行など日本メディアがいつもやっていることだ。
今更驚く必要は全くない。
まともな国なら、ワクチンという名の核酸医薬品接種を日本人に誘導した政治家や厚生労働省の官僚、製薬メーカー、御用医師、新聞社や出版社の経営者・記者・編集者、テレビ局の経営者・ディレクター・プロデューサー・記者・アナウンサー、コメンテーター、自称ジャーナリスト・評論家・学者、芸能人、インターネットインフルエンサーたちは、逮捕され重罰を科される、もしくは社会的糾弾と制裁を受けるのが当然だ。
日本ではその当たり前がなく、巨悪がやりたい放題やり尽くしてきた。
そして、国民も自分さえよければ社会的な悪は関係なく、他者の苦しみに目を背け、自己責任の名で切り捨て続けてきた長い長い歴史がある。
ここまで腐りきった国家や国民がこれから存続する必要はない。