トランスジェンダーとして生きる元私立女子校生:学校におけるセクシュアリティーとジェンダーの課題

以前学校の職員デイで「多様な現代のセクシュアリティーとジェンダー」と題してのセミナーがあった。

LGBTIの概念について、最初に基盤となるのがSex。つまり「生物学上の性別」のことだ。ここにいるのが「男」と「女」だが、まれに両方の性を持って生まれてくるひともいる。これがIntersex(性別としては中間性)だ。程度の差こそあれ、性別の判断が難しいひとのことだ。日本語では半陰陽と呼ばれることもある。人口の1.7%ほどのひとがこの性質を持つので極少数だと思われがちだが、「赤毛」のひとが人口の2%しかいないことを考えれば、百人のうち同じように二人ほどいると思えばいい。

その上にあるのがGender。つまり「社会的・文化的性別」のことで、肉体的性別ではない。やはり「男」と「女」があるが、ここに含まれるのがTransgender(トランスジェンダー)だ。心と身体の性別が一致しないひとたちのことである。「性同一性障害」と呼ばれることもあるがこれは医学用語であり、全てのトランスジェンダーには当てはまらない。心と身体の性別が一致しなくても、必ずしも「身体的治療」を求めないひとたちがいるからだ。

そして最後にそのGenderの上にあるのが、Sexual Preference(性的指向)だ。ここにはレスビアンとゲイが含まれる。ゲイには実はレスビアンも含まれているのでどちらの性的嗜好者もゲイなのだが、一般的には男性同性愛者を指すことが多いので、レスビアンも別に加えたということらしい。バイセクシュアルは両性愛者で、どちらの性も愛することができるひとたちのことだ。

そしてこのL(Lesbian)G(Gay)B(Bisexual)T(Transgender)I(Intersex)を合わせてLGBTIと呼び、「多様な現代のセクシュアリティーとジェンダー」と題してのセミナーだった。もっと詳しくLGBTQIAと言うこともあるが、今回はこのことには触れていない。

そして、最後に登場したのがトランスジェンダーの男性だ。
彼は実はウチの学校(私立女子校)出身者だ。男の子だけと遊び、髪は短くスカートを履いたことは一度もなかった。そして4年生のときに公立小学校からウチの学校に転校してきた。初めてスカートを履くのは居心地が悪く、苦痛でもあった。それまではあまり意識したことがなかった「女の子」でなければならない自分を意識するようになったのも、そのころだと言う。

性の芽生えのある中等部にいたときが精神的ダメージの始まりだった。
周りの女の子たちは皆一様に男性俳優や歌手に熱を上げ、隣の男子校の男の子たちとの交際の話ばかり。それに興味のない彼はからかわれ、いじめを受けた。肉体的いじめは、女子校の場合ほとんどない。それはちょっとした言葉の投げかけ、皮肉、笑い、彼を見ながらこっそりと話して意地悪な視線をよこす、などだった。それでも、毎日となると学校に行くのさえ苦痛だったが、両親も学校も彼の様子が段々と暗くなっていってもあまり気にする様子もなかった。無視することで早くそうした時期が過ぎ去るのを待っているふうだった、と彼は言う。

ついに我慢できなくなり、彼は決心して女子校を辞め近くの公立共学校に移った。12年生(日本の高校三年生)の最後の年が始まる二週間前のことだった。
だが、新しい学校に馴染むのは難しかった。ただでさえ受験で忙しい12年生だ。誰も新入りの「おかしなヤツ」にかまってくれる生徒もいなかった。8年間女子校にいればもちろん友達はできる。が、学校を離れたとたんそちらも疎遠になった。孤独を感じて自殺を考えたのもそのころだ。だから、それを振り切るように猛勉強した。肉体的治療を受け始めたのは大学に入ってからだ。そして教員免許を取得し、今の「トランスジェンダーとしてのセラピスト、スピーカー」として職を得るまで、高校教師として公立校で働いていた。

「僕はラッキーだった」と彼は言う。大学を卒業し、性を変えるための治療をすることもでき、教師としての職も得た。両親は彼が女の子でなくなったことを決して認めようとはせず、現在でも距離があるが、それでも金銭的援助を惜しまぬほどには余裕のある家庭だった。
今まで知り合ったトランスジェンダーの親しい友達は10人いた。そして、10年の間に5人自殺してしまった。失業、職場でのいじめ、金銭的困窮、交友関係のゆがみ。だからそうしたひとたちを少しでも助けたい、と彼は思う。

「学校にだって必ずLGBTIの子供たちがいるのです。そして助けを必要としている。僕たちのことをよく知らない教師たちが困惑しているのはわかります。でも、理解はできる。理解しようと試みることはできる。せめて僕たちの話を聞くことはできる。そうした教師がひとりでもいてくれたら、僕のあの苦しい10代に安堵の光が差したことだろうと思います」
「だから、生徒たちをBoysとかGirlsとか呼ばないでください。Students、と呼びかけてください。学校の卒業ダンスパーティーに行くときに、少女が少女をパートナーとして連れて行くことを禁止しないでください。教師が理解を示さなければ、生徒たちが許容できるわけがないのです」

10年ほど前、わたしがまだこの学校に来て間もないころ、12年生の担任をしたことがある。そのときの卒業ダンスパーティーの前にある少女が「わたしの一番好きな友達(他の学校の生徒)をパートナーとして連れて行ってもいいですか」と学年主任に聞いた。答えはNOだった。理由は「パーティーは伝統的で格式のあるもので、その格式にふさわしく少年だけがパートナーとしての資格を得る」から、だった。彼女は結局ひとりでパーティーに来た。

パートナーとなる他校の少年たちが皆「ボーイフレンド」ではない。友達の友達だったり、兄の友達だったり。今でこそひとりで来る12年生の少女たちもいるが、それでもそうした「間に合わせ」の少年を連れてくる子も多いのである。それなのに「同性」のパートナーはダメ、と。

何年か前に某女子校でそうした禁止事例が問題化し、Facebookで「同性の友達を連れて行って何が悪い!」という運動にふくれあがり、メディアのニュースにまでなったことがある。そのせいなのか、今ではウチの学校でもパートナーの性が問われることはない。

わたしの去年のクラスにはひとりやはり「同性に惹かれる」ゲイの少女がいたが、はっきりと率直に発言できる子で友達も多い。この子のせいでかなりLGBTIに対する理解が進んだような気がするが、生徒たちの気持ちまではわからない。いずれにせよ、ウチの学校では偏見と差別は徹底的に排除される方向に進んでいるし、それを公にもしている。

余談だが、ウチの学校にはもちろん女子トイレ(生徒用)、男子トイレ(男性スタッフ用)、女子トイレ(女性スタッフ用)があるが、そのほかにUnisexトイレ(どの性でも使えるトイレ)というものもある。何人も同時に入れて個室が並んでいる他のトイレと違い、このUnisexトイレだけは鍵のかかる独立した個室だ。

性的マイノリティーへの配慮と許容は、現代の学校とひいては社会が関心を持たなければならないことのひとつである。
オーストラリアではインクルージョン(Inclusion)教育がさかんに叫ばれているが、Inclusionとは生徒たちが区別なく学ぶ機会をつくることであり、それはDiversity(多様性、相違性)とともに等しく語られなければいけないことだ。理想的なインクルージョン教育を考える上で、今回のこのLGBTIセミナーは大変興味深い課題を残してくれたと思う。

National LGBTI Health Alliance Australia

<追記>
学校という環境に特化したLGBTI支援活動に関しては、Safe Schools Coalition Australia(オーストラリア・セイフ・スクール連合)という非営利組織がある。LGBTIの学生、スタッフ、そして家族にもっと排他的ではない安全な環境を作り出そうと、様々な学校と協力するオーストラリア国内のネットワーク組織だ。
全ての学生は学校というコミュニティーの中で安全に勉強できる権利があり、それを守る環境・媒体としての学校を提供するのはわたしたちの義務だからだ。

こうした組織が政府の協力を得て立ち上げられていること自体、日本よりはるかに進んでいると言わざるをえない。

Safe Schools Coalition Australia


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