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若いキモチ

久しぶりに書類を整理していたら、16年以上前に公立校で働いていたときにもらった手紙が出てきた。
当時わたしの日本語アシスタントをしていた男性が、田舎の学校で次のアシスタント業務に旅立つ前に書いてきた手紙だ。

「まだセンセイのように天職と言えるものは見つかっていないけれど、とりあえず英語の勉強をがんばるつもり」とある。本当にやりたいことがまだわからなくって、と書く彼は二十四歳だった。

今はコロナ禍のせいで海外へ行くことがままならなくなってしまったけれど、それ以前は「行けば何とかなるだろう」「行けば何かが見つかるかもしれない」と毎年大勢の若い日本人が外国へと飛んだ。もうずいぶん前にわたしが渡仏したときも、大義名分はあれど気持ちは同じだった。

ひやりとすることにも遭遇し、またどきりとすることに自ら足をつっこんでしまったこともある。現在のわたしから見れば、バカなことをしたものだなあ、といまさらながら思い出して苦笑いしてしまうことも多い。
そして、実に様々なことを学んだ。

わたしの友達のアメリカ人は、ベトナム戦争を体験している。輸送機のパイロットだった彼は、隣に座る砲手を銃撃で失った。
「どうしてそんな恐ろしい所へ志願して行ったの」というわたしの素朴な疑問に、彼は笑ってこう答えた。
「若かったんだよ。何も怖くなかったんだ、本当に何も。あるのは高揚感だけだった。そして、帰国してから怖くて怖くて眠れなくなった」

わたしのアシスタントだった男性も普通の若者だったし、わたしとわたしより一世代上である友人も、皆普通の若者だった。未来の夢はあいまいだし、かと言ってたった今歩いている場所も、なんだか雲の中のようにたよりない。しかし、何でもできそうな気がする。そして次の瞬間には、何にもできそうもない気がする。
用意周到なんて言葉は、ウクライナ語より理解しがたい。

若いということは、切ないね。

彼はもう40歳を過ぎているはずだ。若いときは過去のものになっているに違いない。
日本にいるのだろうか、それとも海外に永住の居を移したのだろうか。オーストラリアで見つけたかった何かをすでに見つけて帰ったのだろうか。

それとも、いつかのわたしのように、オーストラリアにいたころの自分を思い出して、苦笑いをし、そしてふとため息をついているのかもしれない。


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