咳 #2【小説】
新潟の夏は潔白であった。
一面緑の暴力。清らかな心と、健康な身体、爽やかな笑顔。程よく焼けた腕をかざして見上げれば、眩しいサンシャイン。きっと新潟の地下には沢山の死体どころではなく、憎悪や嫉妬、慾や俗、古本屋に入ったらまだ開店前だったときの恥ずかしさや、友人の友人と二人きりになったときの気まずさ、カラオケで周囲の世代に合わせてイエローモンキーを歌ったら無反応だったときの手汗とカブキロックスを歌ったときの予想外の盛り上がりによる脇汗など、呪詛の澱、歴史の垢、ありとあらゆる業が濃縮された老舗のたれが溜まっており、それを木々の根が吸い取って波打ち、この圧力的清潔感を創っている。
新潟の夏はそれほどに潔白であった。
ロッジの庭では既にバーベキュー・パーティーの準備が始まっており、男衆が煙を上げて火おこしをしていた。母親に気付くと皆その手を止めて歓迎した。友人たちは母親と同年代、もしくはかなり上で、皆このロッジで知り合った仲間だそうだ。
「大きくなった」「こんな大きい娘さんいたの」と口々に言われる。母親は得意げである。笑って頭を下げる。マスクを着用していることを問われる、原因はわからないが咳以外は健康であるし、感染もしないようだと説明する。笑う。「しかし大きくなった」。
この一連を繰り返した後、母親に腕を牽かれて厨房に向かう。厨房では女衆が米を握っている。例の一連の作業はそこそこに、一緒になって米を握った。「大きい娘さん」なので櫃からたっぷりの米を手に取り握った。母親のはひとまわり大きかった。張り合うようにしてもうひとまわり大きいのを握った。米粒が手の甲に付いた。迷わず口で取るところであるが「大きい娘さん」であるがために気が引け、鼻を甲で擦るふりをして食べた。食べた後で、より不潔だと気が付いた。次は米を少しだけ取って握った。母親のは新潟の山脈のように立派であった。