教育や働き方の相談を受けたらピラミッドを連想した話
去年1年間、世界の変化が理由なのか公私・個人法人ともに教育のこれからを語り合うこと・聞かれることが多かったです。
そして教え子とか、元スタッフから働き方の相談や報告もポツポツ受ける2021年のスタートです。この働き方相談も教育関係多し。
・迷って末に教育の世界で働くことにした!
・今の業界や働き方に迷っていて、大変でも教育業界に戻りたい…
・働き方に苦悩する親の背中を見ていたら教育に関心を持った。
教育に関わる身としては嬉しくもあり、ますますその価値や在り方を問われる時代だなぁ…と身の引き締まる思いもちょっとだけしたり。40〜50代と10〜20代で教育労働環境の捉え方が随分違うなぁ…と思ったり。
ちびっ子が先生やりたい!という時、その子が女の子だったりすると大抵のお母様方は僕にこんな風に仰います。
お母様「先生…教育関係って大変ですよね?ましてや学校なんて…離職率すごく高いらしいじゃないですか!思い留まるように先生からも言ってやってください!」
…おいおい、それ俺に言うか?😂
年末年始に2〜3、教育やら働き方やらの相談を受けて、ふと連想しました。
ピラミッドのことを。
ということで今日はピラミッドと、これからの学びと働きについて思うことを綴ります。
【ピラミッド作りに諸説あり】
ピラミッド作り。
この言葉から皆さんはどんな絵を想像しますか?
年代によってもかなり違うはず。40〜50代はこんな感じ?
(写真は若干、和テイスト入っていますが…)
いかにも「The.奴隷!」みたいなイメージ。
動きが止まればムチで叩かれ、休みは与えられず、ぼろ雑巾のように働かされ…
いわゆる超ブラック企業。そんなイメージ。
一方で、こんな新説を聞いたことがある方も多いのでは?
この記事以外も「実は超ホワイト企業のようだった」という記事は多くあります。
例えばピラミッドづくりを休む理由が以下のようなものだったとか…。
「サソリに足を刺されたから」
「亡くなった友達をミイラにするから」
「今日はボクの誕生日」
「二日酔いでツライ」
…控えめに言ってサイコーですね。特に最後の理由とかw
上の二つはもはや想像がつきません🙄
今、もし仕事場で似たようなことをやったらどうなるか?ほとんどの場合問題視されますよね(笑)
ピラミッド作りの現場、実際はどのような環境だったのでしょうか?
これには諸説ありまして、上に書いたことが本当にあったかどうかは謎なものも多い。昔に教えられたような奴隷的な要素もあったようですし、上に書いたような超ホワイト・自由奔放な部分もあったようですし…。
諸々に鑑みて「恐らくこうだったんじゃない?」という見解はあるようで、ざっくりまとめると以下のような感じみたいです。
・公共事業としての仕事であった
・ご飯はきちんと出ていた
・なんならビールも飲めた
・休みは比較的自由(ただし休めばその分の給料は無し)
・怪我や病気があれば治療してくれた
現在の日系企業は休んでも殆どの場合給料が出ますから、そこは若干厳しい?
でも、奴隷というには程遠いしっかりした内容な気もしませんか?
で、一番興味深いのは
「働いていた人は、皆現場で楽しく生活をしていた」
これです。何だかんだ、みんな楽しく前向きにやっていた…というのです。
【我思う「仕事が楽しい!」二つの理由】
なぜみんなが楽しく前向きにやれたのか?
その真相を知ることは難しいですが、僕はその理由が二つあると思います。
①自分で選んでいる
②自分で作ったもの・成果に手触りがある
このように考えると、現代でもこの二つが揃うと周りからの見られ方など関係なく大変でも前向きに、一見辛そうでも夢中で取り組めるのでは?とも思うのです。企業勤めでも、フリーランスでも、経営者でも。どんな業界に身を置いていても。
例えばマグロ漁や遠洋漁業。働き方でいえば恐ろしく不規則だし超ブラックに見えるかもしれません。昼夜を問わず船に乗り続けることもある。いつマグロが、魚群が来てくれるかもわかりません。そして一度魚群をとらえたら、それこそ昼夜を問わず働き続けるでしょう。傍目で見たらすごいブラックです。
「でも労働基準法が〜」とか言ってられません。万が一にも「あ、定時だから帰らなきゃ♪」とかやっていたら破綻します。本人達は当然そんなこと思っていない。(もちろん大変でしょうけれども)
そして漁獲の成果を自分たちで実感し、心地よい疲労とともに仕事を終える…
だから充実しているのだと思います。この種の仕事は多いはず。
【活きた学びと人生は仕組みよりも創造力と直感で】
働き方もここ数年で随分と変わりました。まだまだ変わりそう…。
いろいろ書かれていますが、個人的に気になるのは以下のようなこと。
・勤務間インターバル制度
・労働時間に関する制度の見直し
→有給取得の義務化
→残業時間の上限規制(場合によっては罰則あり)
・待遇に関する説明義務の強化
僕は別に高度プロフェッショナルでもありませんし、経営者でもありません。労働環境をよりよくするためのこうした仕組みも必要な部分はあるでしょう。
でも、ちょっと針の振り切れ方がいびつだな、とも思うのです。仕組みの受け手側が考える機会が少なくなりそうで心配になることもあります。
「自分の仕事がどれくらいの時間がかかるのか?」
「自分の仕事でどれくらいの価値が、どんな人にわたるのか?」
「自分の介在価値とは何なのか?」
働くことも、学ぶことも「考えること」こそが人間の本質。仕組みは必要ですが、その仕組みもどう使うか?どう向き合って人生に生かすか?
学ぶことも、働くことも、仕組みやルールだけでは伸びるものも伸びません。よく考え、自分で選んでみる・やってみる。
よく考えた後の直感て、すごくクリエイティブな感じしませんか?
【二つのパラダイムが衝突する時代】
多分現代は、二つの大きな考え方がせめぎ合っているのかもしれません。
一つは時間も・思考も切り売りしちゃってる人
一つは自分で考え、自分で選び、実現しようとする人
失敗や試行錯誤が多いのは当然後者です。
「Aかなぁ…」「Bじゃないかな??」「うーん…微妙。B’くらいかな?」「いや、ダメ!Cが良い!」「と、思ったけどやっぱりB’で突っ走る!」みたいな。
はっきり言って時間がかかる。無駄も多い(ように見える)。でも「自分で選び」「自分で形にしようとしている」点では充実した時間が多い。
失敗や無駄も多いように見えるが故、今ままでは言うて前者が圧倒的多数でした。でもそれが、コロナによって地盤沈下を起こしかけている。働き方も・生き方も・学び方も根本から考え直すように、時代に語りかけられているようにも感じます。
これまでは、とかく「仕組み」「見られ方」「方法」を気にしがちでした。
これからは、「思考」「選び方」「実践」なんだろうなぁ…と。
外見は素敵でも中身が病んでいるのが良いのか?パッと見ブラックで奴隷だけど、楽しく真向きなピラミッド労働者が良いのか?
どっちが良いのか、も自分で考え選ぶことができるのが一番ですね✨
あ。
ちなみに。
ちびっ子たちは本当に自分で選んだものをやる場合は、悔し泣きすることはあっても病むことはまずありません。「頑張る」よりも「夢中」になるんです。
あなたの「年中夢求」なものは何ですか?
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