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焚き火して美味しい牡蠣食べると偏差値が上がるかもしれない話

前回の記事で、最近の入試にはいよいよSDG's増えてきましたねってことを書きました。2020共通テストは難易度も上がった!って話題になっていましたが、名門国立大学の二次試験想定ラインは大して変わらなさそうです。つまり、学力の二極化は確実に進んでいるみたい。

入試も、教科書も「グローバル」「社会課題と向き合う」という文脈で語られるようになってきました。加速度的に。
確かに社会課題を考えてもらう・英語を学ぶ・プログラミングを学ぶ…それらは決して悪くはないのだけれど…。
その前に、それよりも、それに加えて、もっと焚き火したり木を切ったり、牡蠣食食べたり。そういうことした方が未来偏差値も上がりそうだし、色々面白そうだよねーって思ったので、そのことを綴ります。


【美味しい牡蠣の行方】

結構前になるんですけど、美味しい牡蠣に出会ったんですよ。

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南三陸の戸倉っこかき。

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ホイル焼きを山ほど作って食べました。写真映えの悪さはご愛嬌(笑)

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こちらの牡蠣は生食もOKだったので小皿に盛り付けて。柑橘系を絞っていただくわけです。上に乗っている茶色いやつはソガ氏オリジナルの醤油麹です。
(こちらも写真映えの悪さはドンマイということで…)
1枚目の写真にチラッと映っていますが、戸倉っこかきはasc認証の牡蠣として界隈では知られています。

でも、「ていうか、そもそもエコラベルとかasc認証って何よ?」という方も多いはず。狙いだとか背景だとか、その他国際認証。日本発認証等、詳しくはこちら。

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こちらの添付資料によると、エコラベルの認知度は消費者・漁業者で11%程度。流通加工業者の方々でも25%に満たないレベル。普段お魚を買う僕たちの中で10人に1人が知っている程度のイメージ。

エコラベル認証製品数の国際比較で見ると日本はこんな感じ。

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少々古い資料なので多少の変化はありそうですが、真ん中よりちょい下くらい?こちらもまだ少ない印象ですよね。

まあでも、個人的には妥当な数値だとも思うのです。asc・mscといった国際認証は、まだ世の中的にはAIとかSDG'sのような、いわゆる「バズワード」になっていません。ので、学校や入試ではほとんど取り上げられない。大人の世界も言わずもがな。そりゃあ広まらないでしょう。学校で教わることは、本質的で身近な話題というよりも、バズワードに寄せた事例であることが多い感が否めません。

こうなるとあんまり面白くないんですよね…。ややもすれば煽り言葉。宣伝的。

抽象度の高い言葉を、日常生活の具体で体験的にイメージしづらいトピックで話し合う。結果、何となく知識は身につきますが熱を帯びにくいのです。好奇心にも繋がりにくい。僕は今だに多いこうした学びに、日に日に違和感を覚える訳です。

ちなみに上の戸倉っこかき、上の写真を見ると一つ一つが小さい気がしませんか?実際に普通の養殖牡蠣よりも小さい。でも味はめっちゃ濃い!美味しいのです。さてそれはいったい何故か?そんなことを考えると、この牡蠣の正体が見えてくる✨

あ、ちなみに戸倉っこかきはこちらから(決して回し者ではありませんw)。


【木を切り火を起こす非日常から得るもの】

キャンプは非日常空間だと思うのです。
まして自分で木を切り、火を起こしてご飯を食べるとかになるとより一層。

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自分で木を切り、食事と焚き火の準備をするソガ氏。

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で、原始的に(?)魚を木の枝にさして、竹筒を切り出して食材詰めて焚き火で焼いて食事してみたり。

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なぜキャンプで見る炎は、こんなにもエモいのか…。
他の炎とは全く異なる性質はありますよね。思うに、キャンプの炎はキャンプ以外で僕たちが触るどの炎よりも身体性が高い。揺らめき・熱量・爆ぜる音…その全てが無法則な変化があり、自然を彷彿とさせます。不安定さ・不全さゆえ心へのアプローチがひとしおだと感じます。
そしてキャンプとか野外活動が終わって家で考えること。我思う…

「お風呂・シャワー最高!気持ちいい!」
「蛇口ひねって水もお湯もすぐ出るってスゲーな!」
「何で野外で作ったご飯て不完全なのに美味しく感じるんだろう?」
「たまには時間忘れて炎を囲んで延々と喋るのイイね…」
「布団で寝れるのって何気にすごい幸福度が高かったんだ…」

こんなことをしみじみと・ぼんやりと思うことが多い。野外活動はなるべく不完全・不自由・非日常でやった方が感じ取るものが多いです。今は便利なセットを貸し出してくれたりもしますが、個人的には道具を最小限にし、うまく工夫して過ごすことで得られるものはめっちゃ多いと感じてます。

そういえばちびっ子の頃、ロビンソンクルーソーに憧れたりもしました…。


【SDG'sは体験&分かち難い感動から】

僕は最近の教科書改訂やら教育改革やらがイマイチ好きになれません。
教育関係者の方々の熱弁も、もちろん理解はできるし共感部分もあるにはあるのですが…。正直微妙だな…と思うことも関係者ながらたまにあります。改革の本質的狙いからすると、もっと自由に組み立てても良いものなのです。それで良いのですが、いかんせんそのような狙いにうまくついていけていない感が気になります。

AI・Edtech・SDG's・PBL・アクティブラーニング・STEAM教育…
果ては投資教育・起業家教育・society5.0などなど…苦笑

もちろんどれもすごく大事ですし、面白い。でも、バズワードを・世間の流行りを何でもかんでも詰め込んだところで、何だかよく分からず消化不良を起こしてしまうのでは…?

そもそも全部学校の先生がやるの?いやいや、無理ゲーでしょ?

例えばEdtech領域では、教材電子化は流行りの一つ。でも、今まで使っていた教科書を電子化して、授業で「はい、皆さん。ではデジタル教科書のP38を開いてください」とか、やっていることは旧来の軍隊型モデルのままw…。何とも滑稽に感じませんか?

教育改革って何のためなんでしょう?
そもそも21世紀最高の教育とはどんなものでしょう?
学ぶことは、仕組みが整うと最高になるのか?おそらく答えはNoです。

一人一人が心揺さぶる体験にどれだけ触れられるか?日常の些細な出来事から何を感じるか?非日常からどんな日常を思い返すか?それらを前提として、大切な目的のために面倒臭い作業と向き合えるか?そうした経験の先に、自然とSDG'sやらSTEAM教育やらが現れてくる。そしてそういうアプローチの方が学びの幹が太くなります。結果的に、一つ一つの形こそ違えど個々にとっての「最高」に近づいていくんじゃないかなって思うのです。

SDG'sという言葉とか、17のゴールとか、169のターゲットとか、そういう言葉や知識は大切ですが、最初に言葉ありきじゃない方が長い目で見て学びが深くなるよねぇ…とも思うのです。で、経験から血肉になった学びがあるから入試で登場した時に答えのない設問にも困らなくなるのだと思います。この差が二極化にも繋がっている気がしてなりません。

そうそう、長引くコロナ禍で入試も変わらざるを得ない未来が想像できます。CBT(パソコンを使った非接触・遠隔稼働可能な入試の仕組み)は近い将来導入加速するでしょう。そうするとカンニングしたところで点の取れない問題が主流になる日も目の前に。かくして長らく続いた旧来型入試や学びの仕組みは、コロナにより大幅アップデート(というよりも未来加速)されるのでしょうね。

ので、できる限り型にこだわらない体験を。
ので、その体験から感じたことをぼんやりと語り合う時間を。
ので、その対話で生まれた心のざらつきを大切に育てる寛容さを。
ので、面倒臭い単調な学びや作業も壮大な未来へ繋がるという妄想を。

そんなこんなを考えると、結構ワクワクしませんか?

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