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この人この噺「天狗裁き」(柳家さん喬)

 前回は話し振りを聴いて初めて落語の面白さに思い当たった噺を紹介いたしましたが、今回はそれとは逆に内容そのもので、「落語にもこんな話があったんだ!」と驚きを覚えて、落語の魅力に気づかされた噺を紹介したいと思います。

 その演目は「天狗裁き」。あらすじは以下の通りです。

 ある夕暮れ、日頃の疲れのせいかうたた寝をしていた八さんは、女房に揺すり起こされる。
「ずいぶんと楽しそうな寝言をつぶやいていたけど、どんな夢を見ていたの?」
 けれども、いくら思い返しても夢なんて見ていた記憶はない。
 それを正直に伝えてみても女房は納得せず、しつこく聞いてくるものだから、つい手が出てしまい、取っ組み合いのケンカにまで発展する。
 薄い長屋の壁のため、たまらず隣の六さんが仲裁に入ってくれて、夫婦喧嘩はおさまるが、今度はその六さんが見た夢の内容を知りたがる。
 やはり「見てない」「隠さなくてもいい」「見てない」「俺にならしゃべれるだろう」というやり取りから、再びヒートアップして新たなケンカが起こる。
 それを通りかかった長屋の大家が諫めて制止したものの、大家もやはり見た夢を聞きたがり、夢の内容を教えなければ今すぐにでも家を出ていけといいだす始末。
 そんな無茶な話があってたまるかと、おそれながらとお奉行様に訴え出ると、さすがに大家の横暴は取り下げられたものの、そこまでしてもいえない夢の内容はどのようなものかと、今度は奉行が詰め寄ってきて……

 勘のいい方でしたら、その後の展開は想像がつくかもしれませんが、こちらはサゲまで是非とも御自身で聴かれて直接お楽しみいただきたいと思います。

 この噺を聴いた時は本当にびっくりいたしました。こんな現在の短編小説かショートショートのような内容が落語にもあったのかと。
 落語の、江戸から明治期の雰囲気を伝える独特のセリフまわしに舞台設定は踏襲しつつ、話の筋立てはとても現代的で、その構造にすっかり驚かされて、そして魅了されたのでした。

 ただし、後から知ったことなのですが、この「天狗裁き」はもとは「羽団扇」という落語の一部を、人間国宝にまでなった三代目桂米朝が改作して今の形にしたとのことで、現代的というのは当たり前といえば当たり前かもしれません。
 ちなみに、桂米朝はSF作家小松左京と50年来の付き合いのあった友人同士でありまして、この「天狗裁き」の改作の発想の根源には小松左京経由のSF的なアイデアがあったりしたんじゃないかなと、特になんの根拠もないのですが思っていたりします。

 それはともかくといたしまして、この「天狗裁き」の演者としておすすめの柳家さん喬師匠の紹介を。

 柳家さん喬。昭和23年東京本所生まれ。昭和42年五代目柳家小さんに弟子入り、前座名は小稲。昭和47年、二つ目に昇進、さん喬に改名。昭和54年、さん喬のまま真打昇進。平成25年、芸術選奨文部科学大臣賞を、平成29年には紫綬褒章をそれぞれ受章。
 人間国宝となった柳家小さんの高弟のひとりに数えられ、ほろりとさせる人情噺から爆笑タイプの滑稽噺までマルチにこなす一方、一番弟子の喬太郎をはじめ十人以上の弟子を育てる、現在の実力派の噺家の一人。

 これまで紹介してきた「笑点」系列の桂歌丸林家たい平三遊亭圓楽、はたまた「ためしてガッテン」の立川志の輔とは違い、テレビなどのメディア露出が薄く、知名度の点で一歩譲るかもしれませんが、間違いない力量の持ち主で、まず現代の名人の一人に数えられる人物です。

 東京下町生まれで浅草六区にも年少時より連れられていったという育ちながら、想像されるべらんめえ口調はかなり控えめで、むしろおだやかでしっとりと聞かせる声音が艶になって届いてきます。
 このゆったりとしたテンポのうちで、時折要所要所で舌を巻くちゃきちゃきの江戸弁を反映した快活なしゃべりぶりがはさみこまれるので噺にメリハリがきいて、ここぞという情景は鮮やかに浮かび上がり、人物はデフォルメがきき存在感が迫ってきます。
 この口調が、舞台転換が激しく、主人公を取り巻く人々の出入りの激しい「天狗裁き」でも見事に活かされています。

 録音はポニーキャニオンの『柳家さん喬 名演集2』に収録されています。

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 この「天狗裁き」、聴きどころはたくさんあるんですが、冒頭の八さんの居眠りをしている場面で、マンガのように鼻提灯が大きくなったり小さくなったりをくり返すのを目にした女将さんが、
「まったく出店屋台に雨が降ったようだね、提灯が出たり引っ込んだりしてら。あらら、これまた大きいねえ。あっ、割れて中から蝋が出てきちゃったよ。汚いねえー」
 とセリフで説明する部分。ここがかなり重要だと思うんです。

 なにしろここが綺麗に決まらないと話が気持ちよく転がっていきませんから。
 鼻提灯が割れて中から蝋が出るというジョークですが、これが変になまなましく聞こえると、足かせになってしまうんですね。
 これがさん喬の語りですと、場面は明瞭に目に浮かぶものの、まさにマンガのようなコミカルさが先に立っているおかげで汚さに意識が及ばない。安心して笑って、それから先の展開に身を任せていける。

 隣の六さんとの喧嘩の際の、
「そもそもは、こいつとこいつんとこの馬鹿カカァが……」「ちょっと待てよ、だれのカカァが馬鹿だ」「あれが利口か?」「うーん……」
 のポンポンと弾むような掛け合い。また、御白洲の場で裁きを控えての静寂と緊張の漂う状況で、奉行が出席者を確認しているうちで、
「町役人一同揃い居りますか!」
 と高らかにたずねる威風堂々とした様子……。などなどの登場人物やロケーションの転変を、テンポに乗って楽しんで一気に引っ張っていってもらえます。
 そしてラストのオチで「そうきたか!」と素直に驚ける。

 噺の内容と構造のおもしろさと、その魅力を何倍にも引き出す語り口の絶妙さを堪能できる一席です。

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