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落語この人この噺「風呂敷」五代目三遊亭圓楽

 前回が林家たい平、前々回が桂歌丸と、「笑点」出演者が続きましたので、引き続きまして「笑点」つながりで五代目三遊亭圓楽の一席を紹介いたします。

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 昭和7年東京浅草出身のちゃきちゃきの江戸っ子で、昭和30年六代目三遊亭圓生のもとに一番弟子として入門。全生の高座名が与えられる。昭和37年真打昇進、五代目三遊亭圓楽の名跡を継ぐ。立川談志、古今亭志ん朝、春風亭柳朝とともに落語若手四天王と呼ばれるほどの人気と実力を示していた。昭和57年より「笑点」の四代目司会者に就任、以降平成18年まで23年間を務める。平成21年没。

 当代の円楽、前名楽太郎の師匠で、先々代の笑点司会者、日本香道のCMでもおなじみのといいますと、あの長い顔を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
 馬なんてあだ名をつけられていたほどの面長にオールバックになでつけた髪型で、端座した背筋がしゃんと整った高座の姿は精悍で、そこから発せられる声は実に伸びやかで通りがよく、例えば折り目正しい侍が登場する噺などをする場合、とても様になるんですね。
 そこで今回紹介いたしますのは、「風呂敷」という演目となります。

 なにかというともめごとを持ち込まれる町内の相談役もとに、その日は血相を変えて妹が飛び込んで来た。
 聞くと、やきもち焼きで有名な亭主の留守の間に、家に町内の若い衆を上げて話をしていたところが、予定よりもずいぶんと早く当人が帰ってきてしまったのだという。
 とっさに若い衆を押し入れのなかに隠したものの、わるいことに酒に酔った亭主がその押し入れの前に陣取ってくだをまいている。
 間違いで押し入れを開けないとも限らないし、襖一枚隔てた向こうで息を殺しているのもどれだけ持つかどうかもわからない。どうかなんとか助けてほしいと息巻いて頼み込んでくる。
 なんのかんのといって、頼まれるといやとはいえないお兄ィさんさんは、状況を聞くと一計を案じ、風呂敷一枚を携えて妹夫婦の家に向かう。
 聞いた通り、物置きの前でがんばっている亭主を目にすると、言葉巧みにおもむろに風呂敷を使って、若い衆を脱出させようとトリックに取り掛かります……

 と、こんな噺となっております。
「おかしいじゃないか。どこにも侍なんて出てこないじゃないか」
 そんな声が聞こえてきそうです。
 まあ、お待ちください。
 侍はひとつの例でして、声に威厳があって通りがよいから侍のかしこまった調子にぴたりと合うのですが、これが逆もまた真なりで、重々しさのあるいかめしい声で情感をたっぷりこめて間の抜けたことをいうと、それだけでなんともおかしくなってくるのですね。
 この「風呂敷」は、その口調のおかしさをたっぷり味わうのに最適な噺となっているのです。

 なんといいましても、この噺は主人公である相談を持ち掛けられた兄貴のキャラクターがいい。
 圓楽は「風呂敷」を古今亭志ん生から習ったと発言していますが、その志ん生の型には含まれないネタも随分多く、特にこの兄貴の誇張された性格は圓楽の工夫によるものだと思えます。
 町内のトラブルが次からつぎへと運び込まれてくるのを迷惑顔で、でもどこか自慢たらしく、自分の頭のよさをアピールしようとするのですが、しかつめらしく得々と披見する知識が、にもかかわらず、素人の私なんかが聞いても、それとわかるくらいにあやしげで危なっかしい。
「お前、いつも俺がいってるだろ、なるべく本を読め、論語を読めって。古人いわく。これだよ。どうだ、お前には意味なんてわかんないだろ。コジンさんて人がいるんだよ。コジンっていうぐらいだから、団体じゃないわけだ」
 こんな具合でよどみなく立て板に水で言い放つものですから、この兄貴いったいこれからなにを口にするんだろうと、逆に興味がわいてきます。
 自分を、自分で信じているくらいに、えらい人物に見せようとすればするほど、もとのピントが狂っているわけですから、それが一層振れ幅が大きくなってきて、デフォルメされたおかしさがかわいらしくさえ思えてくるんです。
「頭がよすぎるってのも悲劇だね。俺ァここんところ、どういうわけだか、だれとも話が合わないんだよ」
 嘆きながらも得意げな顔が浮かぶようです。

 でもそんなドヤ顔を見せつけられる、わきを固める他のキャラも負けず光っています。
 頼みにきた妹もやきもち焼きの亭主に困っている様子ながら、それだけ自分にほれ抜いているのが得意なところもあったり、その嫉妬心の強い亭主が酒にベロンベロンに酔っぱらって強気になった口で嫁さんなんてどうでもいいという風に強がっていたりと、だれもが強みの裏に弱みがあってにくめない。

 圓楽の「風呂敷」が好きなのはここなんです。登場人物がだれもにくめない。善人とか悪人とかじゃなくて、みんなそれなりに思惑もあり、利己的な面もおおいにあるのですが、そのために強みになる部分を前に押し出そうとしても、どうにも弱みが先に立ってばつがわるい。この強みと弱みが表へ出たり入ったりするのが愛嬌となって、登場人物のだれもがどうにも微笑ましくかわいく感じられてくるのです。
 それを、例の馬面の圓楽がやっていると考えると、またなんともおかしく思えてくる。
 厳めしい風貌と物腰の奥からにじみ出てくる人当たりのいい愛嬌、圓楽の持つこのギャップがなんとも楽しく満喫できる一席です。

 今回紹介しました「風呂敷」はCDでは、『三遊亭圓楽独演会全集』第七集に収録されています。

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 こちらのシリーズは、どれも「笑点」の司会に就任する以前、落語一本に絞って邁進していた時代の音源で、四十代の気力旺盛でかつ円熟味の漂いはじめた、威勢と歯切れのいい話し振りが詰まっていています。

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