見出し画像

【スティグマのデコン】男性性その1~社会が求める”らしさ”とその強要~

こんにちは。寺浦(仮名)です。
今日は社会が求める男性性とそのコンプレックスについて振り返ってみようと思います。

社会が求める理想の男性像と教育

個々に好みはあると思うが、ある意味、多くの女性が男性に求める男性像=社会が求める男性性ではないかと思う。
具体的な要旨はは社会の移り変わりによって変わってくると思うが、”求める”、”あこがれる”、”理想とする”という行為は世の常なんだろうなと思う。だってそりゃあ、男が女を好きになって、女が男を好きになるのは普通とされているからね!

以前は3高なんて社会記号でくくられたりした。高身長、高収入、高学歴。
これはまぁモテ市場の話になるが、やはり、モテ筋としては「スポーツができる」「適度に知的」「適度にリードしてくれる(決断力とかも)」といったところだろうか。
最近では普通らしさがノンケ女性からノンケ男性へ求められていたりするよね。収入は普通でいい、普通のバランス感覚、普通に家事にも参画してくれる、みたいな。ちょっと報道でも報じられていた気がするけど、なんだっけか。

とにかく前時代的な男性性に適合できなかった自分

同世代、30代の読者の方なら少しは共感してもらえるかと思うが、いま俯瞰してみるとぼくらの思春期は前時代的な男性性がまだまだ求められていた時代だと思う。
そんな中で、特に自分はやっぱりスポーツがだめだった。地元のスポーツクラブに行かされたりしたが、もはやノンケ男子の掛け声「押忍!」「うっす!」みたいな、もう、全然だめ。そんな低い声どっから出してんの?自分で何発してるか理解してるの?え、そのコトバってどういう意味?レベル。彼らからしたら「そんなこと理解しようとするな、感じろ」ということなのだろうが、もう、全くについていけなかった。
そしてさらに追い打ちかけるのが自分の運動のできなさ。
色々相まって、周りのノンケ男子たちからは嘲笑の対象となり、自尊心を失っていった。お金も時間もかけたことはわかるが、申し訳ないけど無理やりにでも通わせていた両親には、今言えることとしては「それって育児失敗だったんじゃ?」と突っ込まざるを得ない。

コンプレックスと性愛、敬愛

そんなわけで、10代前半に早々にモテ筋から脱落しかけていた自分。つまり「自分は男性としてダメなやつなんだ」と烙印を押されて育ったように思う。
このコンプレックスは正直今でも引きずっている。
でも、だからこそ、この「男性性」を兼ね備えている男性には逆説的に惹かれてしまう。
後天的なのか先天性なのかはわからないが、こういう側面でも社会が求める男性性を兼ね備えている男性ってやっぱり素晴らしいなあと思う。
ただ、それが純粋な性としての性愛なのか、社会的義務を果たしているように見えるという点で尊敬できるという意味での敬愛なのかはわからない。


あまりにとりとめもない感じで、結論らしい結論もだせないし、うまくまとめることもできない。
ただ、同性に惹かれる理由としては、こんなような側面もあるんだろうなという再確認である。
ただ、そこにはやり「男子たるものこうあれ」という、見えにくい”らしさ”の強要がまだまだ根深い要素として存在していて、2020年の今現在でも根を張り拡大しつづけているような気がしてならないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?