日本の儒教②

江戸時代は儒教の中でも朱子学がメインで教えられた。
長幼の序などの身分、規律を規定するものなので、武家社会の統治には適していたと言える。

一方でこのカチカチの息苦しい理想論は日本に完全フィットせず、神道とも連動しながら日本の柔らかな自然観も取り込まれていった。

江戸の学問は何か一つではなく、神道、仏教、儒教、蘭学という多様な学問を学びいいとこ取りし続けてきた。

英語も学べば中華文化も取り入れつつ、日本文化もマスト、という学び方だ。
英語に特化し日本人として何ものか、なんなのかが語れない現代教育は江戸の教育に学んだ方が良いかもしれない。

幕末の若手官僚、外国方はオランダ語、英語も話せる上に漢詩も読めて筆談し、国学、国体についても対応もできてきた。こうした学問を納めた人材は儒教の規律を起点に学んで行っている。

実は明治政府の外交官は万国公法が読める人1名、みたいな状況でレベル差が著しかった。
人材と教育の差を感じるところだが、外事方においては特に差があった。

国内変革の原動力としてはどうだったのか。
ここに陽明学という儒教の一派がある。

朱子学が理論と規律を重んじるのに対し、陽明学は行動を重んじた。
いいと思っていることはやるべきだ、という知行合一の理論は、一部の武士に熱狂的に受け入れられた。
幕末では幕府も腐敗してきていた。
大阪の与力、大塩平八郎は家に火をかけ乱を起こした。あっという間に鎮圧されたのだが、幕府の役人である与力が反乱を起こしたことが衝撃的で、幕末志士に受け継がれた。

現代では見向きもされないかもしれないが、中国エリートの一般教養でもあり、儒教は生き方、行動基盤として現代でも学ぶ必要性があるのかもしれない。


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