うまくいくとき、いかないとき
「なんかうまくしゃべれない時期があるんだよね」
という私のぼやきにたった一度だけ、
共感してもらったことがある。
うまく言葉が並ばないというか。
そこまで慎重に頭で並びかえてから
話しているつもりはないけれど、
どことなく不調を感じることが10代の頃からあった。
同様に、今のってるわ~みたいに
ペラペラ話せるときの感覚もわかる。
たまにあるこの好不調、たぶん精神状態というか
自分に嫌気がさしているときは
ありのままの自分を堂々と差し出す勇気がなく、
会話のキャッチボールがどうもうまくいかない。
職場でも、うまく話せるときと雑談につまずくときがあった。
どちらも俯瞰して感じることは、
うまく話せたときは他の人へのフォロー機会が多くできたり、喜んでもらえたとき。
つまずくときは、自分の余裕のなさが原因で、相手の要求を
うまく拾えなかったとき。だから、
自分が要因だという反省がある
要するに、こんな状態の自分で申し訳ないし自分に興ざめるのだ。
違う視点からいくと、ちょっと太ってしまったとき。
なんだか投げやりで、ネイルやボディケアまで
行き届かなくなってしまう。
では、自分にとってのベスト体重のときだとどうだろう。
このパンツを履いたときに出てくるゆとりまでもが
ファッションの一部で、心なしか元気が出てくる。
これを思い出してから、マイベスト体重からそれてしまったときは
自己肯定感のためにもリセットしようという気持ちになるのだ。
自分で自分を受け入れられていないときは、
自分に優しくできていない。
それが、悲しいかな人とのコミュニケーションにも
影響が出てしまっているのだった。
全くもって身勝手極まりなく反省した私は、
自分を0の状態に戻すことが解決案だと悟る。
0に戻したらいいだけという発見がせめてもの救いで、
この不調は0に戻れていないからだということ、
必要以上に0から動かないようにしたいという
2つの真ん中に立って、アンバランスなところから
抜け出したい一心だ。平均台をすうっと歩けるような
しなやかで柔らかで、どこか影があっても
芯のある身のこなしを定着させたい。
人の役に立てた実感があるとき、喜んでもらえたときの感情は
自分だけで得た喜びとは比べ物にならない。
好きなものを手に入れたり、楽しいときを過ごす時間も
貴重だけれど、根底にはいつも”OKな状態”の自分が居てこそ。
自分の機嫌をコントロールすることが大人のマナーだと思うけれど、
機嫌の奥に眠るきっかけやしこりを紐解いていって
ようやく向き合えるのだろう。
歩みが遅くても大丈夫。
誰かや何かと比較するよりも、今どうして”OK”じゃ
ないんだと思う?とやさしく聞いてあげることで
きっとみんなが救われる。