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Think difficult

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思考を刺激し、ヒントを与えてくれる色々。難しく考えた思考の断片や、気になった記事のスクラップをまとめています。
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#日記

「表現の草野球化」という言葉をYoutubeへの分析についての発言で聞いた。草野球は楽しむなら素晴らしい趣味だが、ドラフトにかからずプロ球団にも入らなかった人が自分の草野球を見せて彼らと同等に悦に入っている姿はちょっと違うよな、という話。わかるなあ。

ぶつかる会話の価値。

昨日は、職種の違う3人と食事。 それぞれが別のプロジェクトで関わっている人同士だったが、全員で会うのはこれが初めてだった。この状況の中で「人と会って話す」というのがどれほど貴重かと考えさせられる。 自粛期間中、zoomでの打ち合わせをほとんど断っていたのも、会って話すことと、メールなどで済むことの中間に位置するオンライン会議にあまり意味を感じなかったからだ。 人と話すことで自分の考えを整理できることもあるし、思ってもいなかった方向に構想がジャンプすることもある。これはビ

表紙は破って捨てたよ。

「消費する遊び」と、「創造する遊び」があって、このどちらが好きかによって生活のスタイルは決まっていく。 たとえば子どもにしても、絵を描くことが好きな子と、塗り絵が好きな子がいるよね。どちらが好きでもいいし優劣をつけるつもりはないんだけど、そこに「断絶」があるのだけは確かだと思っている。 白い紙を渡されるとすぐに絵を描き始める子は、塗り絵のように「誰かが用意してくれた下絵」が印刷された紙を面白いとは思わないだろう。反対に塗り絵が好きな子は、真っ白い紙を見ると手がかりがないか

バカと利口の両方が満足できる本。

30年も広告を仕事にしてきたのに、もし自分が作って世に出したプロダクトがまるで売れなかったら、それはクライアントに対しての冒涜になるだろう。過去に「こうしたら売れますよ」と、企業に対して偉そうに提案してきたことの説得力がゼロになってしまうからだ。 というわけで、自分が出した本が、まあまあ好調な予約状況であるらしいことを知って、ほっと胸をなで下ろしている。 『ロバート・ツルッパゲとの対話』の後書きにも書いたが、「売れる」というのは商業活動の金銭的結果だけを指さない。特に本に

カツカレーを発明しました。

彼は身長が177cmだ。彼はイタリアンが好きだ。彼は長男だ。 これだけの情報で、彼が喜ぶプレゼントを選ぶことは不可能だ。ITALIAと書かれたXLのTシャツを渡しても、たぶん弟にあげてしまうだろう。 「情報の断片を手に入れたら、それが星座の輪郭を描けるようになるまで我慢しないと、結論が浅はかになる」と、『ロバート・ツルッパゲとの対話』に書いた。外国人が浅草寺とスカイツリーと竹下通りという3点を知っていても、東京という星座を描くことは不可能だ。 断片的で誰でも手に入れられ

所有と集合知。

先日あるミュージシャンと、「ニューヨーク」というコンビのネタについて話した。彼らは、出す曲がことごとくヒットしているJ-POPデュオという設定で、その作曲風景をコントにしている。 俺たちのファンのあいつらは「永遠」とか「LINEが既読にならない」とかいう言葉が好きだから歌詞にたくさん入れとけ、みたいに話し合いながら最終的に曲ができあがる。ある意味、現在の音楽業界をバカにしているわけだから、そのコントを見てイヤな気持ちにならないか、とミュージシャンに聞くと、「いや、そういうミ

「丁寧な暮らし」の“丁寧”の成分はなんなのかを考える

わたしたちは疲れを自覚した「成長」がテーマだった昭和・平成を駆け抜けて来た日本の多くの人々は、疲れてしまったのだと思う。 戦後、とにかく伸び代しかなかった日本は、復興のため、世の先進国と肩を並べたい一心で経済成長を追い求め、モーレツに駆け抜けるしかなかった。まだまだテクノロジーも発達する夜明け前の時代だったから、そうするしかなかったし、その成長はある意味、今の日本で生きる多くの人々を幸せにしてくれたとも思う。 けれど、あまりにも急ぎすぎて、疲れてししまったのだ。 今まで

勉強のための視力。

先輩がゆっくり歩いていたら、後輩は後ろからぶち抜け。 と思う。 この前、写真を始めたばかりの人からポートレートをいくつか見せてもらったんだけど、すでに普通の仕事は十分できる程度の能力が感じられた。 勉強の方法に敏感な人は効率よく技術が向上するんだなと思い、根拠のない頑固さでずいぶん時間を無駄にした過去の自分を恥ずかしさとともに思い出した。 「勉強の方法」のほとんどは謙虚さと素直さでできている。残りの1/3はバファリンだ。 自分は何も知らないから全部吸収しようと思う人

ヤギさんへお手紙書いた。

ヤギワタルくんがTwitterで、「批評家の必要性」について書いていた。俺はあまり必要だと思っていないので、そうリプライした。140字では到底書けない内容なので、「noteに詳しく書いて」とお願いしておいたらアップされていた。 ヤギくんの丁寧な説明で概要はわかった。批評家によって創作の世界がひらかれたり、作家が進化する可能性があるというのは納得できるし、批評にとどまらずに創作に転じる人がいるのもわかる。よき創作者は批評家の資質を備えることがあるというのも理解できる。 俺が

つまらない話

つまらない人の話はつまらないつまらない人の話はなぜ誰も耳を傾けないのだろう。 つまらない人の話がつまらないのは、聞いている自分と、その人の話との接点を見出せないときだ。「なぜ私は今、この人の話を聞く必要があるんだろう?」と思った瞬間、その人の話はつまらなくなっていく。 たとえばここに安部公房がいて、彼が創作の過程や、世界をどのように見ているかについて話し出したとしても、安部公房を知らず、ユープケッチャも知らず、地図や航空写真に興味も見出せない場合、安部公房はつまらない話をす

橋の上から見た夕陽。

数年前、「ホタル祭り」に行ったことがある。地方の夏祭りで、特別ホタルがたくさんいる場所でもない。まあ、そういうネーミングだというだけだ。 そこで数枚の写真を撮ってSNSに載せたところ、まったく知らない人からコメントがあって、「全然ホタルが写ってねえじゃん。笑」みたいなことを言われた。その時、ああ、これだなと思った。 自分は仕事でアートディレクション、撮影、編集をしているからそれが変だとは感じないんだけど、そうでない人は、「スイーツ祭り」という記事でスイーツが写っていないの

他人の受け売りなので無料記事。

キングコングの西野くんにはビジネスの才覚があります。先天的なモノもあるでしょうけど、かなり大事なポイントがひとつ。それは誰もが平等には得られない「環境の問題」です。 彼は若い頃からあらゆる分野のトップクラスの人と出会い、その人々から、一流のビジネス感覚を学んでいます。そこに大きな差がある。 そういった恵まれた環境を持たない多くの人は、その部分を「想像」で補っています。だから現実とのズレが大きかったり、手垢のついた理論を信奉していたり、民間療法のように非科学的なことを信じ込

サファリパーク。

今日はある仕事のミーティングのため、金沢に行ってきた。 訪れる場所は、回を重ねるごとに近く感じるようになる。おそるおそる行く道は遠く感じ、同じ道を戻る帰り道は時間が短く感じる、あの原理だ。 未知のモノは情報処理に時間がかかる。目の前に現れるすべての要素に反応するからで、すでに体験したことに対しては無視できるから、意識の労力を省ける。 金沢に行く二時間半という距離がどんどん短くなっていく。すでに何度も訪れた場所があるし、知った顔も増えてきた。これと同じ感覚が持てる土地がい

ヘタが巧くなり、ヘタになる。

絵でも写真でも何でも同じだと思うのがこれ。 最初は、箸にも棒にもかからない「ヘタ」から始まる。それが慣れてきて技術を憶えてくると「上手」になり、達人になると「ヘタ」に見えるところへ戻っていく。 これが意外と知られていない。というか素人は途中の「巧い」を目指しているから、それらしく描けたり撮れたりするところにゴールを設定している。 何もできない人が技術を憶えてくると、上達が楽しくなってくる。これはまあよろしい。でも、巧さには上限があるのだ。 多くの人はそこに近づくほど安