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ぶつかる会話の価値。

昨日は、職種の違う3人と食事。

それぞれが別のプロジェクトで関わっている人同士だったが、全員で会うのはこれが初めてだった。この状況の中で「人と会って話す」というのがどれほど貴重かと考えさせられる。

自粛期間中、zoomでの打ち合わせをほとんど断っていたのも、会って話すことと、メールなどで済むことの中間に位置するオンライン会議にあまり意味を感じなかったからだ。

人と話すことで自分の考えを整理できることもあるし、思ってもいなかった方向に構想がジャンプすることもある。これはビデオ会議では補えないものだと感じた。できなくなった時、それがいかに大切だったかがわかる。

この前、ある映画を観ていてとても退屈に思えた。あとから考えると、その原因は「台詞の間」にあるとわかった。あまり演技の巧くない役者が長い間を取って話す。演出もそうだがそれを補えない編集の稚拙さも手伝って芝居がぶつ切りに見えた。「ここであなたがこう言ったら、君はこう言ってくださいね」という脚本を順番通りに読んだだけに感じられ、実際に会話をしているときに会話がぶつかったりすることの価値を思う。

zoomでは誰かのタイミングがずれて会話がかぶると全員が黙ってしまう。沈黙を感じて全員が話し出すから、またかぶる。これの繰り返し。大昔の衛星中継のようなモノだ。リアルな会話では互いの会話が重なったりすることは何の障害にもならない。衝突したり、速度が変わったりすることそのものが会話の情報量に含まれている。だからいい映画は、言葉と画面のズレが絶妙だ。




多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。