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【閑話休題】「5時起きPJ」しましょうか

久々登場「閑話休題」という割には、あまりライトな話題とはいえませんが、至急何とかしたいということで、よろしくお願いします。

「5時起きPJ」とは何ぞや。その前にちょっと自分の現状を振り返りたい。

① 休日に「5時起き」できているワケ

これまで述べてきた減量施策の一環で、土朝はランニング(⇒次回以降詳しく)、日朝は打ちっぱなし、というのがほぼルーティン化しつつあり、休日は既にほぼ「5時起き」のような生活を送っている。

近年、「休日は宝」「休日は稀少」との考えから早寝早起きをなるべく心がけている。

子どもの生活リズムに合わせないといけないし、「土曜に夜更かしして、昼前に起きて、ダラダラしてたらもう日曜の夕方」なんて最悪だからだ。

以前「なるべく家庭に穴をあけない」と言った通り、妻子が起きる前になるべくルーティンは終わらせる必要があるし、練習場は早く行かないと打席が埋まってしまう。

前日の夜は早めに飲み始め、早めに酔い潰れれば、翌日早起きすることは割と造作もない。

② 平日にも「早起き」したいワケ

そんな早起きな休日なら、平日の朝もさぞ充実していることだろうと思われがちだが、そうではない。

ただその前に、まず、そもそも「なぜ平日も早起きをしたいか」という話をせねばなるまい。

ここ数年はいろいろな資格試験に挑戦している。

それがなぜかといえば、この年になって家庭も持つと「遊び」もそんなになく、またできず、かといって日々漫然と過ごすのは、それはそれで精神的によくない。

…ということで、「精神的に潰れない程度の目標はむしろ心の健康を豊かにする」との思いに至り、ゆる~く勉強をしようという気概でいる。

僕が目指しているのはどれもさほど難しくない取り留めのない資格だが、とはいえ、やはりある程度継続的に勉強しなければやっぱり受からない。

そこで何とか勉強しようとするのだが、平日仕事終わりでクタクタの中で勉強するのは現実的にシンドイ。

仕事もさることながら、帰宅すれば家事が待っており、なんやかんや落ち着くのは22~23時くらい。

そこから「よっしゃやんぜ~」といって勉強を試みたことは何度もあったが、その度ごとに寝落ちする。もう若くはないのと、独身時代のように「仕事が終われば自由時間」というわけでもない。

それなら「休日に集中して勉強する」というのも一つの手だが、休みは休みで家庭があるし、自分の時間はさほど多くないことに気づく(酒も飲まないといけないし…)。

そうした経験から「自分の時間は自分で捻出するしかない」という前提のもと、「平日に早く起きて勉強する」ということが僕の中で唯一無二の解だとの結論を得た。「子どもと共に寝て、さっさと起きる」という発想だ。

③ 平日早朝に襲う「地獄夢」

そういう経緯でこの数か月、早起きを試みてきたが、なかなかうまくいかなかった。

一方、割り切った考え方をすれば、それで十分な眠りが取れるなら仕事のパフォーマンスが上がるだろうからそれはそれでいいことのように思える。

ただ実際はそうではなかった。

その時間帯に訪れるのはほぼ100%、仕事で追い込まれる夢か、高校当時の壮絶な受験戦争の夢だ。

いずれも相当程度のプレッシャーを背負ういわば「悪夢を通り越した『地獄夢』」であり、睡眠時間を削って起きた方がマシなレベルである。

この「地獄夢」を経て、「睡眠は時間も大事だが、質も大事」との考えに至り、「地獄夢を見るくらいなら早朝に起きて生産的な活動をしよう」との思いが強まった。

④ それでもままならない「早起き」

そこで、「まとまって勉強しようと思うからダメなんだ」「筋トレと一緒で段階的に負荷をかけていこう」という発想に至った。

具体的には、いきなり4時半起床を目指すのではなく、まずは5時45分起床から段階的に早めていこうという具合だ。

ところがこれもうまくいかない。

段階的に早める過程で失敗するどころか、そもそも5時45分に起きるとさえままならない。

なぜだ…

なぜだ……

⑤ それでも起きられない「本質」とは

さあ、そんな状況を受け、この場で泣きついて「5時起きPJ」を始動しようとしている。

でもその前に「なぜうまくいかないのか」。

「なぜ痩せられなかったか」を問うた時と同じ…理由を突き止めなければならない。

なぜ、そこまでの苦痛があってなお早く起きられないのか

それは休日とはモチベーションが違うからだ。

勉強は決して楽なものでないし、その先には仕事が待っている。目は覚めるが気持ちがついていかない。

⑥ それでも起きたい「本質」とは

もう一つ。自分が早く起きたい「本質的な目的」は何だったか。

それは、決して勉強をすることではなかった。

本質的に言えば「自分の時間が欲しかった」だけなんだ。

じゃあその「自分の時間」でしたかったことはなんだ。

それは決して勉強ではない。
いや、正確には、「試験のための勉強」ではない。

教養という意味での読書。読みたかった本を腰を据えて読む。

仕事の準備。今日これからの仕事のための情報収集をする。

キャリアの志向。自分がこの先、どんな道を歩んでいきたいのか。

「自分の時間」、もっというと「自分のための時間」

それこそが本質的に自分が望んでいた時間ではなかったか。

だから、(早起きしたらやるべきことをここでは言わないがいろいろリストアップしていたのだが)とりあえず「べき論」を捨て去り、自分のやりたいことをやる時間として、早起きをすればいいのではないか。そういう発想に至りつつある。

「勉強ありき」でなく、とりあえず「起きれればフリータイム」。そんなノリ。

だから無理して勉強のために起きるというのはもうやめた。まだ試験までは時間があるし。

とりあえず、溜まっている本を読もうか。

気になっている調べものをしてもいい。

そうした過程を経て、勉強する余力があればすればよい。

最悪そこでできなくても、早く起きたことで家事にも余裕ができるので、行きの電車で問題解くことができるかもしれない。

そんなノリで明日からやってみよう。

⑦ なぜ「5時」なのか

「5時起き」ということには特に根拠はないし、こだわりもない。敢えて言うとすれば「時間的に一番ちょうどいい」ということではなかろうか。

4時起きだと早すぎるし、6時起きだとちょっと遅い。そして5時起きという、いかにも巷の人々が口にしてそうで、かつ語感の良さ。「三密」みたいなセンセーショナルなワードは存外大事なものである。

そんなことを泥酔したノリで書いてきました。もう文章構成はメチャクチャでしょう。

でももしこの「5時起きPJ」に共感していただける方がいたら、一緒に頑張りましょう。

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