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チョコレート一粒分の、私の愛の話。

今年のバレンタインには不参加を表明した。

職場は女子だけなのでバレンタイン文化が根付いてないから、無理に気を回す必要がない。
あげたい人はみんな遠くに住んでいるし、会う予定もない。「バレンタインだから」といってわざわざ渡すのも気恥ずかしいし。

そんなことを言いながら、旦那さんや恋人がいる職場の子に「バレンタインは何あげるの?」と率先して聞いて回り、その答えを聞いてにやにやしている私はなんだかんだバレンタインを楽しんでいる。
サロンドゥショコラの広告は事前に調べお目当てのものを決めてから会場に向かうのも、もはや手馴れたものだ。


誰にあげるにしろあげないにしろ、何を買うにも作るにも、バレンタインの楽しみ方は自由でいいのだと思う。

バレンタインの形がさまざまなように、恋や愛の関係性もたくさんある。
まるで、ショコラの一粒一粒が種類も形も味わいも違うように。

恋人が一番の世界だった。
何よりも大切にしたくて、同じように大切に思われたかった。
最後の恋が終わってから一年、私の中で恋と愛についての考え方が変わったのを感じている。
今まで恋は愛に至るもの、愛は恋から生まれるものだと信じていた。
けれど、必ずしも恋は必要ない、人を大事に思うことに恋愛のプロセスを取らなくてもいいのだと気付いてから気持ちが楽になった。

今、家族や友人、パートナー、私にとって大事な人たちに向けているものは、すべて平等な愛だ。
それはたとえば、美味しいものを食べたときにシェアしたくなるような、そんな気持ち。
チョコレートが三粒あったら、一粒は自分で食べて二粒を相手にあげたくなるような、一粒分の愛。
そこに性別も年齢も立場も関係ない。
誰だって私にとって大事で、かけがえのない人だから、そうしたくなるのだ。


狭い私の世界の中ですら恋や愛の関係性が変化していくのなら、きっとこの世界でも愛を取り巻くものは変化しなければならないはずだ。

今日、国を変えるほどの大きな闘いに挑み始めた人たちがいる。
微力ながら、ネット署名という形で協力をした。
たった一人の何の影響力をもたない私でも、この世界をほんの変えられたなら。
様々な愛の形を持つ彼らが素敵なバレンタインプレゼントを手にできますように、と願わずにはいられない。

父が職場からもらってきた「いつもありがとうございますチョコ」を代わりに頬張りながら、そんなことを思う、2019年のバレンタイン。

#バレンタイン #恋愛 #日記 #エッセイ #とは #愛と恋を語ろう

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