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068 真面目なものはつまらない


エロスとタナトスが面白い

エロス、タナトス、という言葉がある

フロイトが提唱した精神分析理論の一つなのだけど、人間の基本的な欲求と感情を象徴しており、行動や欲求、感情などを理解するためのフレームワークとして使うことができる

  • エロス(生命の欲求)は愛、絆、創造性などを表現

  • タナトス(死の欲求)は破壊、闘争、絶望などを表現

昨今、炎上を恐れて当たり障りのないことしか言わない風潮があるけど、エロスとタナトスを避ける表現は、しばしば人間の経験の重要な側面を無視することになる

その反動なのか、音楽やアニメの世界ではエロスとタナトスはふんだんに使われている

例えば呪術廻戦とか鬼滅の刃とかADOの音楽とか、人気あるものほど、その傾向がある

エロスとタナトスは面白さの要素なのだ

真面目とは農耕文化と儒教の基準である

真面目という言葉はたぶん日本独自だと思う

真面目に該当する英語はシリアス(serious:深刻)とされているけど、ニュアンスはだいぶ違う

日本語の真面目には「自分の考えを持たず、言われたとおりに行う」「形どおりの仕事を嫌がらずに黙々と行う」といった主体性の欠如のニュアンスがある

分をわきまえ、社会通念を守り、先人が作り上げた「形」を大事に守り、上の者に逆らわず、コツコツと「形」どおりの作業を愚直にやり続ける

これら農耕文化や儒教文化に関係する規範が日本人の底流に残っているようだ

もちろん真面目さが悪いわけじゃない

明治維新後の近代化や戦後の復興時、エリートが西洋の「形」を輸入し、それを国民にインストールするだけで日本は発展することができた

真面目さが大いに役立ったのである

ところが、ひとたび先進国に追いつき、価値創造しなければならない立場になったとたん発展もストップした

これが「失われた30年」の要因の一つだと思う

それに気づいてなのか、「もう真似は止めて、これからは自力でイノベーションを起こそう」と掛け声は上がったけど、大したイノベーションは起こらずに今に至っている

真面目な国民性はそう簡単に変わらないということなのだろうか

ここで3つの疑問がある

  • 真面目さの正体は何か?

  • 真面目さと創造性は共存できないのか?

  • 真面目文化からの脱却は無理なのか?

これらについて考えていきたい

真面目は高誠実性・低開放性

心理学的に言えば、真面目さは「誠実性」が高く「開放性」が低い人の特徴と言える

wikipediaのビッグファイブによると、第一特性が誠実性高で、第二特性が開放性低の人の特徴は、慣習的、伝統的となっており、ここまで書いた真面目さと一致する

何度も言うけど、真面目さは別に悪いわけじゃない

誠実性の高さは成功可能性の高さでもある

「誠実性」は、セルフコントロールや責任感に関する因子で、計画的で責任感があり勤勉な性向を示しており、リーダーシップに欠かせない資質と言われている「Integrity」は、まさに「誠実性」に該当する

また、ポール・サケットとフィリップ・ワルムズリーが執筆した雑誌の記事「職場で最も重要な人格属性は何か?」では、誠実性が高いことと協調性が高いことが、さまざまな仕事で成功要因だそうだ

つまり、誠実性を重視するのは至って当たり前

問題は開放性を軽視する文化である

開放性とは、芸術、感情、冒険、珍しいアイディア、想像力、好奇心、および多様な経験に対する一般的な評価である

世界的にはポジティブに評価される性格だけど、日本では「変わり者」の烙印を押されがちである

もし、スティーブジョブズ、ジョンレノン、ゴッホ、モーツアルトが日本に生まれたらどうなっていたか

潰されたとまでは言わないけれど、同様の成功ができたとは思えない

儒教国では、優れた人=徳の高い人、という刷り込みがあるけど、他の文化圏にはそういう捉え方はしない

むしろ、優れた人=変わり者、という捉え方のほうが強いのではないか

「素頭の良さ」「地頭が良い」という謎の言葉

10年くらい前から「素頭」「地頭」という謎の言葉が使われだしている

学校の成績やIQだけでは測れない、多面的な能力を意味するらしい

その多面的な能力は、論理的思考力、コミュニケーション力、創造性、感情知能などが含まれるようだけど、主張者によって異なる

つまり主観的な評価である

皮肉な言い方をすれば「俺の気に入る人が素頭・地頭の良い人間」という風にも聞こえなくもない

それはまるで儒教の「徳」である

儒教は、「形」を評価基準にして人の順位付けをしたがる特徴がある

素頭・地頭もそれのような気がする

これは私の考えだけど、地頭・素頭の正体は、誠実性+外向性じゃないか

誠実性が高い人は、持ち前の責任感・勤勉さ・自己規律によって、知識や語彙をたくさんインプットしている

これに外向性の特徴である反応の良さが加わると、すごく頭の良い人に見えてしまう

さらにここに開放性の低さが加わわると、着実で、具体的で、地に足の着いた雰囲気になり、日本人の大好きな「切れ者」のイメージになる

それはそれで素晴らしい人だと思うけど、気になるのは「開放性の高い人」や「内向的な人」が横に追いやられている点だ

第2次アート革命の主役は開放性と内向性の強い人

ところで日本はこのままずっと「開放性の高い人」や「内向的な人」は評価されないままなのか?

意外と近い将来、開放性+内向性の時代が来そうな気がする

AI時代は人の価値観に大きな揺さぶりを与えるだろう

その一つに、人の性格に対する評価がフラットになることが挙げられる

真面目(誠実性)の価値が下がり、開放性や内向性の価値が上がり、結果的にイーブンになるということだ

その背景に、私が第2次アート革命と呼ぶ現象がある

写真の登場で写実性の価値がなくなりアートが生まれたのが第1次アート革命

AIの登場で、人が分析や論理を組み立てる必要がなくなり、それよりも主観的なことに価値が生じるのが第2次アート革命ってことだ

その時、今まで脇に追いやられていた「開放性の高い人」や「内向的な人」、つまり変わり者が変わり者のまま生きられる時代になる

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