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☆10年うつを乗り越える☆

🌸うつは心の中に咲く花15   ーうつコンサートに行くの巻ー

さて、私は幼稚園ではオルガン、小学生になってからはピアノを習いました。これが自分の意志ではなく母の強い意向だったことが、後々ピアノに挫折したときに、母との間に深い溝を作ることになります。(病のひとつの原因にもなっています。)

でも音楽そのものは好きでした。なので、深い挫折の中でも、行きたいコンサートにはたまーに行っていました(カウンターテナーのスラヴァ氏とか)が、うつになってからは音楽どころじゃない毎日でした。まあ当たり前です。少し持ち直してきた翌年、大好きなプログラムが近くのホールであったので、行ってみたいと夫に頼んで二人で出かけました。夫は車で連れて行ってくれました。

素晴らしいオケ、観衆の熱気。でも私は何も感じませんでした。何度も何度も聴いた曲なのに。何も心に響かない。音が体を素通りするようでした。かえって人の多さに気分が悪くなって疲れ切って帰宅するありさま。この状態はだいぶ長く続いて、2019年にバイオリンの先生が所属するオケのコンサートに出かけるまで、クラシックにもポップスにもコンサートには行きませんでした。

先月のこと、近くの駅で辻井伸行さんのコンサートがあるというポスターを見かけて、いったん通り過ぎたものの、気になってチラシを持って帰りました。このコロナの中やるんだ、どうしよう!?行こうか?と初めて自発的にコンサートに行くことを考えました。辻井さんは現在の日本を代表するピアニスト、それも盲目のピアニストです。しかもまだ30代とお若い。もし10年後、20年後に彼のコンサートに行ける機会があるとすれば、それはなんというか、素晴らしいことじゃないかと、もう残り少ない座席から少しでも辻井さんに近い席を2席購入して、行くのを楽しみにしていました。それが今日、1/31でした。

ところが、昨夜になって、夫が明日はいろいろあって忙しいとぶーぶー文句を言い始め、いやいや行ってやってもいい、みたいな態度をとるので、そーかいそーかい、そんならいいよ。ほかの人誘っちゃうよ、ということで、「辻井伸行!行きたーい!」とおっしゃっていたP先生に夜急遽連絡をして、行ってくださるかどうか打診してみました。先生もびっくりしたみたいだったけど、結果オーライ!一緒に行っていただけることになりました。万歳!チェリストでもあるP先生のほうが夫よりもいいわい、ということで、今日は朝からテキパキ用事を済ませて、できるだけおしゃれをして最寄りの駅でP先生と待合せました。

先生も私も女子高校生並みにウキウキ(笑)。二人ともどっちに行くのかさえわからないのに、この人波についていけばきっと行きつけますよ!そうかなあ、へんな布団買わされたらどうする~?などときゃっきゃしているうちにちゃんとコンサートホールに着きました。ラッキー!

席は普通の席の反対側、つまり舞台を上から見下ろす感じの2階席でしたが、最前列で、辻井さんの手元は見えなかったものの、お顔や、弾き始める時の雰囲気や、さーっと静まり返る観客席の感じとかがわかって、なかなか良い席でした。

弾き始めの一音。それにどれだけの思いがこもっているか、演奏がどれだけ情熱的でしかも優しく、男性らしい力強いものか、弾き終わりの響きをどれほど大事にするか、それら全てが心を揺さぶり、前頭葉を熱くし、心臓をしめつけるものか、聴いたものではないとわかりません。つたない言葉で伝えられるものでもありません。途中のトライメライでは思わず涙がこぼれ、超絶リストの技巧に圧倒され、3曲も弾いてくださったアンコール曲では涙が止まらず、もうねえ、もうねえ、凄かったんだ。

舞台には彼一人です。見えない目で毎日毎日どれだけの努力を積み重ねてここまで来たのだろう、そしてどこまで行くのだろう。何人の支えがあったのだろう、それは見える手であったかもしれないし、見えない手、例えば今はもうこの世にいない偉大な音楽家たちの見えざる支援というか、そういうものにこの人は包まれていると感じました。ステージ上にそんな気があふれているような気がしてならなかったです。

話は少しそれますが、戦国武将の大谷刑部の墓が関ヶ原にあります。都市伝説だったかもしれませんが、そこに彼の子孫が訪ねていったことがあったそうです。まだ大学生くらいの彼が墓の横で写真を撮ってもらったら、彼と刑部の墓を囲むように、うっすらと鎧武者が大勢で殿様のご子孫がいらした、とばかりに現れて写真に写った、という話があります。怖い話ではありません。それだけ嬉しかった、それだけ忠誠心があったということだと思っています。

人は誰もが辻井さんのように、守られて、その血のにじむような努力が報いられるための見えざる手をたくさん持っているのだと思います。神の寵児にまで上り詰められる人はごくごく一握りです。でも、自分だって、それなりに行ける筈!

私も結局はうつで苦しんだけれども、そこから救い上げてくれたたくさんの手があったと信じています。救い上げてもらえたのは、どうしたら明るく生きていけるのかを惜しみなく教えてくれる人達に出会えて、それを素直に信じて、自分の知らない誰彼にも感謝をして、ありがとうありがとう、と笑顔を絶やさない、少しずつそれを実行しているからです。そして、今とても元気で幸せだからです。まだまだこれからですけどね。

3月に同じホールでヴァイオリニストの千住真理子さんのコンサートがあることも見つけました。さっそくチケットをゲットしました!CDもいいけど、臨場して聴くコンサートのほうが100倍いいです。音楽は心の糧です。魂の喜びです。今になってピアノをやっていてよかったと思います。譜面が読めるし、少しなら曲も知っている。つっかえつっかえ練習したソナタをふと聴いたりすると、そのころの自分にいつでも戻れます。思い出は美しいです。

お母さん、ピアノを習わせてくれてありがとう。バイオリン、もう少し上手になったら聴いてください。

では続きはまた後日。


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