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拝啓、浅野いにお先生

短編集「ばけものれっちゃん/きのこたけのこ」を読んだ。浅野いにお先生の作品を読むのは「うみべの女の子」以来な気がする。

もう読むことはないかなというか、読まないと思ってた。

「おやすみプンプン」「うみべの女の子」の2作は読んでいて気分の良いものではなかった。というか、胸くそ悪かった。

先生も明言してたりするけど、作中のキャラに先生自身を投影していることが結構あるし、そうなんじゃないかなと感じることもある。それは悪いことではないと思うけど、徐々にそれが不快になってきた。

でも、その時は不快な理由がちゃんと分かっていなかったんだとこの作品を読んで気づいた。

先日(でもないけど)、結婚発表されたのと同時に、奥さんの連載での報告もなんとなく読んだんだけど、想像してた以上に繊細な方だった。

炎上の件とかは知らないし、知らなくて良いことだろうと思って調べてないけど、多分黙ってられないのか、隠すの嫌いというか自ら傷つきに行くタイプというか、すごい生きるのが下手な方なんじゃないかと勝手に思った。

ぜんぶ憶測なので個人の戯言だと思って聞き流してもらいたいけど、書き留めておきたかったので綴ります。

先生は自分が幸せになってはいけない人間だと思ってるんじゃないかなというのが「ばけものれっちゃん/きのこたけのこ」を読んだ感想というか、先生の作品を読まなくなった「不快感」の根源だと思った。

「これは先生自身を投影してるな」と思った作品の主人公は、不幸というか生きづらさを抱えていて、そのまま絶望へ進んでいくことが多い。それが読んでいて辛かった。先生の作品には、拗らせたまま歳を重ねてしまった自分の見たくない部分や現実を提示されてる気がして、それに耐えられなくなったのが「うみべの女の子」を読んだ頃の年齢だったんだと思う。

だから、蓋をするように先生の作品を読まなくなった。「なんか鬱っぽい展開が多くてマンネリ化してきたな」と当時は偉そうなことほざいて読まない理由を作ってた。

別に犯罪をしたとかではないけど、いろんな人に迷惑かけたりしてきたクズな自分は、もう幸せになれない、なる資格はないと考えることがある。でも、幸せ……というか「普通」に生きてたいなという願いはあるから、それを否定されたように感じる先生の作品は目にしたくなかった。こんな奴でも、「普通」に生きてて良いんじゃない?って肯定して欲しかったから。

久々に読んだ先生の作品は「相変わらずしんどい」と感じる作品、「イマイチわからん(頭悪いのと感受性が鈍ってるのもある)」作品と「読んだことあるわ(学生の頃は思ってた以上に熱心なファンだったみたいだ)」って作品で構成されてた。ぜんぶしんどかったら「やっぱ浅野いにお作品はもう読めねぇ」ってなってたかもしれないけど、そうじゃかったから今これを書くに至ってる。

拝啓、浅野いにお先生。自惚れてください。売れてるんだし。作品出し続けられてるのは人気あるからだし。結婚したんですし(これは関係ないか……)。

先生の、僕を鬱屈させる作品はなんやかんや今後も読みたいけど、たまにで良いのでストレートな恋愛ものとか描いて欲しい。アホみたいにハッピーエンドなやつ。

「ふんわり鏡月」用に描かれた作品すげー好きです。これはこれで描くのしんどかったのかもしれませんが、相手の女性が今の彼女に重なる部分が(彼女の方がもっとネガティヴですけど)あったんで、掲載された当時より響くものがありました。長編がキツかったら恋愛モノだけで短編集作って欲しいです。絶対にやってくれないと思うけど。

何が言いたいのか分からなくなったけど、とりあえず「浅野いにお」から離れて数年経った間に刊行された作品も読んでみようと思った。「不快感」で読めなくなったわけじゃないことに気づけたので。

実家に帰ったら先生の作品回収しよう。奥さんである鳥飼茜先生の「漫画みたいな恋ください」も読んでみたい。

結局、僕は「浅野いにお」に憧れと嫉妬を抱いてるのかもしれない。展示会、彼女誘って行こうと思います。振られてなかったら。

2019/7/19追記

この当時付き合っていた相手には振られて、浅野いにお先生の展示会も1人で行きました。

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