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夏に消えた友人と僕が殺した名前の話

もう何年経つのだろうか。ある年の7月終わり。僕は祖父母が住む田舎町でのんびりと過ごしていた。祖母が作る料理はどれも美味しく、それと共にビールでも飲んでいた記憶がある。あまり連絡を取っていなかった知人からメールが届いたのはそんな時だった。

「◯◯と△△のこと聞いてる?」

伏せ字の部分は友人と後輩の名前。すぐに最悪な想像が頭をよぎった。「いや、聞いてない」とメールを返すと電話が鳴る。

「多分、死んだ」とのことだった。多分というのはその時点だと行方不明扱いだったからなのだが、状況としては絶望的で、その後の捜索も打ち切られた。

いなくなった友人とは特別親しかったわけではないが、学生時代に所属していた軽音楽部でコピバンを組むことが多く、2人で遊びに行くこともあった。自分が部活に顔を出さないようになってからは稀に喫煙所で出くわす程度だった。しかし、それでもやはり「死」というものをすぐに受け入れることはできなかった。今でもひょっこり現れるのではないかという気もしている。

そんなこんなで7月が終わりに差し掛かると、その日のことを思い出す。

別にそれと関係はないのだが、僕は名前を殺したことがある。大した話ではないのだが、少し憂鬱になった気分を晴らすために綴らせてほしい。

5歳離れた弟が生まれる少し前のことだ。当時の僕がなにを思ってそんな駄々をこねたのかは不明であるが、「弟の名前を自分が付けたい」と言い出したらしい。らしい、と書いたがそこに関してはなんとなく記憶がある。

既に両親が名前を考えていたにも関わらず、小学校にも上がっていない僕は「◯◯がいい!」と言い続けた。親も子どもが悪いことをすれば「ダメ」だと叱ればいいわけだが、悪いことではないので困惑したことだろう。

結局、親は僕を止める術が分からず、弟は自分が命名した(漢字は親が決めたけど)

弟に付けたがった名前は当時カッコイイと思っていた幼稚園の同級生が由来である。今は疎遠になってしまったが、自分と同じ名前を知人の弟に付けられる気持ちはどんなものなのだろうか。

ただ、「カッコイイ」「カッコよくなってほしい」という僕の願いは叶ったと思っている。弟は血が繋がっているのか?と疑問に感じるほどにイケメンへと育ち、付き合う彼女は毎回かわいい。羨ましい限りである。

僕が殺してしまった名前は、弟が結婚して子どもが生まれた時に付けて欲しいと勝手に思っている。名前は生き返らせることができるし、受け継ぐこともできるはずだ。その時の想いは別として。

いつか、殺してしまった名前が蘇ることを願っている。その時は心の中で深く深く頭を下げて謝りたい。「殺してごめん」許されるかはその名前次第だが。

それでは最後にこの曲を。夏に消えた友人と後輩が共通して好きだったはず。Arctic Monkeysで「A Certain Romance」

若かりし頃のアレックスはかわいかった。リーゼントはまだしも髭面になった時は「お前誰だよ」とフリーズしたよ。

この文章をお読みになられているということは、最後まで投稿内容に目を通してくださったのですね。ありがとうございます。これからも頑張って投稿します。今後とも、あなたの心のヒモ「ファジーネーブル」をどうぞよろしくお願いします。