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働かなければ生き残れないのなら未来の僕は何してますか?

「平成ライダー」が残り1話で終わるらしい。「らしい」というのは過去に劇場版へと続いた作品があるからだ。まだ油断はできない。ただ、自分が感じていたよりも、放送中の「仮面ライダージオウ」という作品が好きだったようだ。最終回が迫るにつれて悲しみや寂しさが胸を覆う。

前置きもなく仮面ライダーの話を始めたのには理由がある。それは今回のタイトルが「仮面ライダー龍騎」のキャッチコピー「戦わなければ生き残れない」を引用しているからだ。今年になって完全新作が制作されて配信されたのだが見れていない。

それはさておき、この資本主義社会で生きていくためにはお金が必要不可欠だ。そしてお金を手に入れるためには「仕事」がつきまとってくる。そんなことはないと反論される方もいるかもしれないが、今のところ僕にはそれ以外にお金を得る術がない。

つらつらと僕のダメさ加減を綴らせてもらうのだが、これはある三十路の男が「仕事」に対して危機感を持ちながらも「努力」することができず、「ヒモ」になりたいなどという悲しき妄想にすがりながら日々を生きることになった要因を振り返るための投稿である(単純にふと思ったことを吐き出したかったのもあるが)

「仕事」に楽しさを見出せたり、やりがいを感じれたり、はたまた「仕事」は金を稼ぐためと割り切れるなにか(趣味や夢、はたまた家族や恋人といった誰かのために…etc.)を持っていたりする人を羨ましく、そして尊敬する。

読み終わったら「こんな三十路も存在するのか」とあまりの底辺ぶりに救われる方もいるかもしれないし、「こいつはとんだクズ野郎だぜ」と憤慨される方もいるかもしれない。せめて前者であることを。そして不快にさせるつもりはないのでポップに綴ったつもりです。


お盆休みというかりそめの無職期間を経て、再び「仕事」と向き合う日がやってきた。

出社して3時間くらいだろうか。今日に限った話ではないが、「やはり働きたくないな」と強く思ってしまった。

「ヒモになりたい」そんなバカげたことを夢見て20年は経つ気がする。何がきっかけだったのだろうか。「ヒモ」という概念を何で知ったのか。20年前の自分に問うてみたいが、タイムマシンのない現代において、それは叶うことのない願いだった。

しかしながら僕もバカげた夢を見続けるには歳を重ねてしまった。そろそろ真剣に「仕事」に対して考えないといけないのかもしれない。遅いというツッコミは受け流そう。

大学時代、漠然と「好きなことを仕事にしたい」と思っていた。そして就活をせずに映像制作の専門学校に入った。親に金を借りて。そして未だに返していない。

なぜ映像制作だったのか。

本心としては「脚本家」希望だったのだが、脚本家だけで食べていくのは難しそうだなと、夢を見つつも変に現実的だった。映像全般を学んで、まずは制作会社に入ってから脚本家になる道を夢想していた。親を納得させる理由も必要だった。理由としてはお粗末なものだと今では思う。

それで映像制作を学んできたのかと問われれば答えは「NO」である。突然の英語に戸惑われたかもしれないが、特に意味はない。

脚本の講義以外はまじめに受けていなかったな。社会に出たくなかったのだ。モラトリアムを延長したかった。ぬるま湯のような心地良い大学生活という湯船から次の湯船へと移動しただけ。バイトをしながら遊ぶ日々。金には困らぬ実家暮らし。暇ができればパチンコというクズっぷり。

思えば恵まれた環境に身を置いていた。嫌なことから逃げ出して、戦わずして永遠にこの状態を保てるものだと勘違いしていたのかもしれない。いや、どこかで終わりが見えていたからこそ、現実逃避したかったのだろう。

そして唐突に、ではなく「卒業」という予め決められた終わりの日を迎える。ぬるま湯が完全に冷め切って、湯船から出ざるを得なくなった。

それでも「実家暮らし」という環境にまだ甘えていた。だから専門学校を卒業してからはアルバイト扱いで「ライター」として小さなWEB関連の会社に入った。そこから色々あって(そんなにはない)ブラックな会社を2社ほど経験して今に至る。

「スキル」と誇れるものはないに等しい僕が、のらりくらりと生きてこれたのは運が良かったのだろう。その運も尽きたという自覚と未来に対する焦りや不安をようやく感じ始めた頃には30歳だった。

「努力」をせずにここまで来てしまった。実家というセーフティーネットから這い出て、同棲生活を1年でぶち壊し、止む無く(ではない。自業自得だ)一人暮らしを始めて2年と数ヶ月。働かなければ家賃は払えないしご飯も食べれない。

今も運良く働けているが、年齢や未来を考えると「努力」が必要なことは分かっている。しかし困ったことにやる気が起きない。そろそろクビになるのではないかと思ったりもする。

三十路にして年収は400万に余裕で届かない。「この状況から抜け出したくはないのか」と聞かれたら「まぁ、そうですね」くらいの気持ち。自分を客観視して妥当な額をもらえてる感覚もあるので「金」よりは「やりがい」が欲しいというこの期に及んで甘ったれたことを思ってる。

「働かないふたり」というニートの兄妹を描いたマンガの17巻(執筆時点では最新刊)にて、主人公たちと仲が良いおばあさんがこんなことを言う。

「嫌なことからはどんどん逃げてもよかったなぁって。でもね、ひとつだけ。嫌な理由が"めんどくさい"だったら…これは逃げちゃダメね」

おばぁあああちゃぁあああん!!そんな真っ当なセリフをニートが主人公の作品で言わないで!!

そうだった。「めんどくさい」で僕は何もかもから逃げてきたのだ。そしたらもう逃げられない年齢になっていた。

「めんどくさい」を武器に三十路を迎えると「努力」をしなくてはならないという焦りvs「めんどくさい」という精神的なフリーター力(なにそれ)が頭の中でせめぎ合う。

結果、僕は自律神経がイカれて月1でメンタルクリニックに通うハメになったのかもしれない。脳が相反する信号を受信してパニクったんじゃなかろうかと。

「仕事」に対する想いは人それぞれだろう。好きなことを「仕事」にできてる人は羨ましいし、「仕事」にやりがいを感じれる人も羨ましい。何か趣味や大切な人のために「仕事」を頑張れる人も羨ましい。

「お前もそう感じれる「仕事」に就けば良いじゃん」と思われるかもしれないが、もうそれすら「めんどくさい」のだ。我ながら救いようがない。

こんな三十路になっちゃダメだぞ☆ 反面教師にでもしてくれれば幸いです。

5年後、10年後、僕はなにしてる?生きてる??僕は未来の僕が心配です。


それでは最後にこの曲を。せめてハッピーな気持ちで終わらせたいという気持ちを込めて。ラブリーサマーちゃんで「私の好きなもの」

(個人的に「抹茶」の子がタイプなんだけど「蟹の雑炊」派閥が多い気がしてます。あなたは何派ですか?)


この文章をお読みになられているということは、最後まで投稿内容に目を通してくださったのですね。ありがとうございます。これからも頑張って投稿します。今後とも、あなたの心のヒモ「ファジーネーブル」をどうぞよろしくお願いします。