帰省 墓参り 老いた姿
久しぶりの帰省、実家に帰るのは四五年ぶりだ。実家にはもうすぐ88才になる母親と一つ違いの弟がいる。私の体調を心配して、帰ってくるなという母親の言葉を遮って訪れた家に時間の経過を感じて、時間の先を案じる自分がいた。
私の生まれ育ったところは、田舎で、田園地帯でどこにでもある風景の一角だ。
一年前だったか?免許証を返納していた。話を聴くと庭で転んで顔面を打ったらしい。目の上のあたりの骨が折れ、目は焦点が合わなくなっていた。ちょこちょこといつも動いていて落ち着きのない母は、今は杖を付きながら足を引きづりながら歩く老人になっていた。
それでも裏の畑は自分の城のようなものらしく、守り続けていると威張って言うのだ。
実家ですることは何もなく、ずーっと話掛けられて話続けた。茨城弁はなかなかきつい。機関銃のような喋り具合なのだ。(自分もそうだったのたのだろうか…笑)。
弟は失業して何年になるだろうか。かなり経つが、その間、父を介護して看取り、今は完全に母の介護人だ。普段母以外の話相手がいないのだろう、無口だった弟はもういなかった。こんなに話すヤツだったのか驚きと共に、済まない気持ちが湧いた。大変だな…介護って。弟はまだ意地は残っているのだろうか、愚痴は漏らさなかった、せめて聴いてやりたかったが、まだ大丈夫なのか…。
今回夫も付いてきてくれた。もの静かな夫には、茨城喋りはキツかったかもしれないが、付き合ってくれた。こういうスチュエーションが嫌で、あまり一緒に帰省することは無かったのだけど、今回は行きたいと自分から申し出てくれた。ありがたいことたと思う。
実家は、踏切の隣にあり、小さい時からずっと電車の走る音を聞きながら育った。駅へは線路を歩いていくのが常だった。子どもの時に飼ってた山羊も、知らないオジサンに連れられて、この線路の上を歩いていった、その後ろ姿は今でも覚えている。何で行ってしまうのか分からぬまま、家族みんなで見送った。不思議な罪悪感が残っている。
台風が近づいているので雨降りかなって思っていたが、何とか晴れ間のうちに墓参りも済ませ、夕方近くに散歩に出た。
今の実家の家は、2度目に建て替えた家で、私の生まれ育った家はもうない。自分の今日までの人生を振り返りながら、母の88年と弟の五十数年をなぞってみた。正直好きになれない実の母だが、関わりたくないとは思わないところが、親と子なのだなと思う。
弟は、勤めてた会社をリストラされて、再就職できぬまま介護生活に突入してしまった。私とは違って、弱音を吐かずやる事をきちんとやる几帳面な弟なのだ。このままなら最後はひとり残される。彼の最後を看取るのは私しかないようで、死にたい気持ちを小脇に抱えたへたれの私は、死ねない理由をまた一つ見つけてしまったようだ。
久々に書いてしまいました。私事でごめんなさいね。でも読んで貰えたなら生きることに張りがでます。って老人みたいなこと言ってら〜大笑
あ、そろそろ老人か…(^^)
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