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ショートショート 『戦場のピノッキオ』

 焦げた臭いが大気に充満していた。火薬と、何かが腐敗している臭いがそれに混じっている。
 メインストリートは瓦礫に埋もれていた。
「これ以上は、車じゃあ無理です」
 運転手がルームミラーごしに言った。「あと500メートルってところですが………」
「後は歩きで行くよ。ありがとう」
 僕は言い、バッグパックを肩にPKF平和維持隊のジープを降りた。
「破壊されています」
 後から車を降りたEVE倫理検証補助機器、通称ピノッキオが言った。
「分かっている」
 僕はピノッキオの言葉をさえぎった。「僕にも目はある」
「熱を感じます。区域の危険度は25%です」
 ピノッキオが続ける。
 確かに破壊された両の建物から熱気を感じる。まだくすぶっている熱源があるのだ。
 ジープは数度の切り返しの後に去っていった。迎えは4時間後だ。
 僕たちは道に崩れているコンクリートや車の残骸などを迂回し、乗り越え進んだ。時折、積み重なった瓦礫の隙間に、平たくなった人の身体が見えた。彼らはハエの群れと異臭をまとっていた。
 喉がひりついた。ビールが飲みたい。絹のようになめらかな泡と、黄金色の液体………。
「あんたか?」
 顔をあげると、奇跡的に倒壊をまぬがれた事務所ビルの2階に男が立っていた。窓ガラスはない。
「マイケルだ。検査官と、そっちの坊やはピノッキオだな? 登ってきてくれ」
 男が手招きをした。
「照会しました。調停人コードB297のマイケル・プレストン」
 ピノッキオが言った。
 僕たちはビルの入り口を半ば塞いでいる瓦礫を乗り越え階段を登った。
「まだ若いな」
 マイケルの第一声は、それだった。「新人を寄越したんじゃあないだろうな?」
「日本人は若く見えるんだ」
 僕は言った。「キャリアは9年になる」
「なら俺より先輩じゃないか。この商売で9年死なずにいられたんなら上等だな」
 マイケルは言い、デスクを壁際に寄せた空間に転がる兵器を顎で指した。
「採取した攻撃用ドローンと、ウォー・ドッグだ」
 二機とも破壊されていた。ドローンは左の翼が根本から折れ、ウォー・ドッグには頭部がない。切り口に、引きちぎられたケーブルが血管のようにのたくっている。
「大丈夫か?」
 マイケルは毛むくじゃらの腕を組み、僕に聞いた。
「ドローンは大丈夫。犬のほうは………」
 僕は膝をつき、ウォー・ドッグの腹の型番プレートを確認した。「CPUもディスクも腹部に設定されているタイプだ」
「オッケー。じゃあ始めてくれ」
 ふたつの兵器に内蔵された戦争用ウォーOS、WOSを検査するのは検査官である僕と、補助機器ピノッキオの役割だ。その結果を元に戦争当事者間の調停をマイケルが行う。
 砂の積もったデスクに腰掛け、高みの見物を決め込むマイケルを背に、僕は検査を開始した。
 必要なのは、WOSに国際法で規定された倫理パターンが実装されているのを確認することだ。

 発端は、2020年代に東ヨーロッパ、中東、極東アジア、西アフリカなどで発生した戦禍だった。
 人類は自分たちの知性を過信していたのだ。第二次世界大戦が終わり、核バランスという枷をかけあった以上、全面的な戦争など、もう起こりようもないと。
 だが事実は違った。
 古くからの因縁を引きずった地域で、局地的な戦争が起こり拡大した。戦争は住宅地や市場、病院、学校も呑み込んだ。ドローンが飛び交い、武器を持たない人々の上にミサイルの雨を降らせた。言い訳は、そこに相手側の兵士やテロリストが隠れていたから、だった。
 人類は1ミリも進化などしていなかったのだ。
 狂気の波がひと段落した後、人々は死者を数え驚倒した。
 軍人には戦時国際法など、何の足枷にもならなかったのだ。
 兵器の持ち手が信用できないのであれば、アウトプットの末端である兵器自体をコントロールするしかない。そして戦争用OSであるWOSが開発された。WOSには戦時国際法を元にした倫理パターンが内蔵され、使い手の意図とは別に状況を判断し、場合によっては兵器を機能停止する。例えば子供に向けた拳銃の引き金がロックされるように。
 今、合法的に開発された銃からドローン、ウォー・ドッグ、ミサイルにいたるまでほとんどの兵器にWOSが搭載されている。そのコードは完全にオープンであり厳しく監視されている。
 もちろん、どんな時代にも法を犯す者はいる。「今、そんなことをゴチャゴチャ言っている場合じゃあないんだ」が常套句の者たちだ。彼らは秘密裏にエンジニアを雇い、WOSのモジュールを書き換え、パラメタを調整する。
 そこで検査官である僕やピノキオが必要となる。

「検査開始してくれ、ピノッキオ」
 僕の指示に、ピノッキオがドローンの盛り上がった上部に手を置いた。
 ピノッキオは8歳程度の少年の姿をしている。興奮状態の兵士たちを刺激しないためだ。検査官の補助機器として戦場に赴き活動可能な最低ラインが、身長130センチの男児型なのだ。
 だがピノッキオを見た目通りの子供のアンドロイドだと思うのは間違っている。
「侵入します」
 ピノッキオが言い、検査モードに入った。黒目が凄まじい勢いで上下左右に動く。
 しばらくしてピノッキオの鼻が赤く光った。違反を検出した合図だ。物語のピノッキオとは違い、彼は他者の嘘を見抜く。妖精の魔法なしで。
「モジュールの3箇所に改造の跡を発見。WOSが改変されています。手法は2032年のベルリン2型」
「やるもんだな」
 マイケルが口笛を吹いた。
「倫理パターンの修復も試みていますが、失敗しています。現在この兵器で有効な倫理パターンは1134個。標準セットの53.4%です」
 そのパーセンテージでは、権限が強化された国際司法裁判所の追及は免れないだろう。最終的には国レベルでの賠償、経済制裁、軍トップに対する起訴に発展する。
「分かった。犬のほうに移ってくれ」
「………もう良いんじゃないか?」
 声に、僕はマイケルを見た。
 調停人は自分の履いたごついブーツを見下ろしていた。
「どうせ相手側も似たようなズルをしているんだ」
「関係ない。それは裁判所が最終的に判断することだ」
「ちょっとは利口になれよ」
 マイケルが言った。「死んだ奴らは戻らない。誰が悪さをしたなんてほじくり返して、何になる?」
「調停人の言葉とは思えないな」
 僕は言った。ピノッキオはウォー・ドッグの腹に手を置いたまま、僕の指示を待っている。
「大局を見ているんだよ、俺は」
 マイケルは言った。「あんたら日本人は、細かなことにこだわり過ぎる」
「僕が日本人であることと、検査の仕事は関係ない」
「ボーナスが欲しいと思わないか?」
 マイケルは言った。

「………なるほど」
 口の中がひりついた。「噂には聞いていた。そういう調停人がいるって」
「安心しろ。相手側からもボーナスが出ることになっている。つまりはイーブンだ」
「戦争犯罪で殺された人はどうなる?」
「もう死んでいる」
 腹の底が熱くなった。僕はピノッキオを見下ろした。
「ピノッキオ、再生してくれ」
 ピノッキオが口を開いた。
『………もう良いじゃないか。相手側も似たようなズルをしているんだ』
 出たのはマイケルの声だった。
「録画もしている。カメラはフェイク対策つきだ」
 マイケルの顔つきが変わった。
「何のつもりだ?」
「裁判所に報告する」
 後悔先に立たず、だ。それは僕にとってもだった。僕は怒りのあまり喋りすぎた。マイケルのごつい手が背中にまわった時、それを実感した。
 自動式拳銃、シグザウエル。それってWOSがまともに動いているのか? 考えたのは、そこまでだった。
 閃光。
 先に動いたのピノッキオの手だった。銃弾に弾かれたピノッキオの指が窓のむこうに飛んでいった。次の弾丸は、僕の前に立ちあがったピノッキオの顔に当たった。強化プラスティックが砕ける音がした。跳弾に、マイケルが床に伏せた。
「跳べ!」
 僕はピノッキオの肩をつかんでガラスの失せた窓からジャンプした。
 2階とは言え、ビルの前には瓦礫の山が積み上がっている。実際の落下は2メートル程度。問題は瓦礫が崩れやすく、様々なゴミが混じっているということだった。
 僕たちは大きなコンクリート塊の上に着地し、斜めに転がった。ピノッキオの小柄な身体が道に落ち、砂煙をあげた。続いて落ちる僕の右足がワニの口のように開いた瓦礫の隙間にはまり、体重がかかったままねじられた。
 自分の皮膚が裂け、脛が折れる音を聞きながら、僕はピノッキオの横に滑り落ちた。
「走れ!」
 アドレナリンが骨折の痛みを麻痺させていた。僕はピノッキオの肩を借り、半ば倒壊し黒い煙をあげている斜め向こうのビルの間に、片足で跳ねた。その間にも銃声が鳴り、熱いものが僕の頭上をかすめた。
 背をかがめたピノッキオが道に転がっていたコンクリートの欠片かけらを拾った。背後を見ずに投げる。窓から突き出されていたマイケルの銃身が跳ね上がり、暴発した。
「畜生!」
 マイケルの罵り声が聞こえた。
 僕は笑った。ピノッキオは時速180キロでモノを投げることができるのだ。
 僕たちは路地の隙間に転がり込んだ。
「見せてみろ」
 僕はピノッキオの顔を両手ではさんで確かめた。少年を模した薄桃色の頬が内にむかって割れ、織り込まれた炭素繊維が見えた。
「馬鹿野郎!」
 僕は言った。マイケルに言ったのか、ピノッキオか自分に言ったのか、僕自身にも分からなかった。
「泣いていますか?」
 ピノッキオが不思議そうに聞いた。もちろん彼に感情はない。
「泣いていない。僕はただ………」
 言いかけた僕を、ピノッキオが押しとどめた。小さな頭を傾け、何かを聞く仕草をする。
「彼らが来ます」
 ピノッキオは言った。

 蜂の羽音を大きくしたような音で、ドローンの群れが灰色の通りに入ってくる。全長30センチの索敵ドローンだ。
「数は8機」
 ピノッキオが言った。
 調停人が介入している休戦地帯ではあり得ない話だった。マイケルや戦争当事者たちには、僕を生かしてここから出す気はないのだ。
「PKFへの連絡は?」
「不通です。広範囲の周波数に対し妨害電波が出ています」
 迎えが来るまであと2時間。僕はまともに歩くこともできない。マイケルもこのままで済ます気はないだろう。汚職の証拠を撮られ、奴の尻にも火がついているのだ。
 その頃になって、折れた右足が痛みはじめた。裂けた皮膚から流れた血で、ズボンは重く濡れている。足が震え、吐き気がする………。
「案があります」
 ピノッキオが言った。
「何だ? 降参でもするか?」
「検査中のドローンとウォー・ドッグにはまだ接続中です。ドローンには自爆機能が実装されています」
 僕はピノッキオを見た。
「それは、………お前の判断か?」
「判断を下すのは人間であるあなたです。私はコマンドを送信するだけです」
 僕は目をつぶった。
 このままでは発見され、攻撃用ドローンを投入されるだけだ。もしくはマイケルが来る。
 通りをしらみつぶしにしている索敵ドローンの音が近づいてくる。
「分かった。やってくれ」
 僕は言った。
 ピノッキオがうなずき、頭を傾けた。僕は両耳をふさいだ。
 爆発音がして、路地に砂混じりの熱風が吹き込んできた。どこかでマイケルの叫びを聞いたように思ったが、おそらく幻聴だ。
 そして僕は気を失った。
 気がついたのは、カーブした胴体の上だった。ゆっくりと動いている。
 うつ伏せていた顔をあげると、ウォー・ドッグの切断された頭部が見えた。瓦礫の山の向こうに沈みかけた夕陽がある。
「もうすぐPKFの待機地点に到着します」
 僕を背に乗せたウォー・ドッグの横を歩きながらピノッキオが言った。髪も顔も埃まみれだ。帰ったら洗ってやる必要がある。
「ありがとう」
 僕は言った。右足にはもう感覚がなかった。「ひどい一日だった」
「戦場ですから、ここは」
 ピノッキオが言い、僕は少しだけ笑った。

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