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【不安障害】なぜ不安障害となったかと、母の責任について#9
ふゆが不登校となった不安障害について、原因はHSPだから、という短絡的なものではないと考えています。
まずは、やはりHSPの「表情や雰囲気から人の感情を強く感じ取ってしまう」気質が土台にあるとは思います
そこに刺激だらけの学校という環境のなかで我慢し続けたこと。
それがよくなかったことのでしょう。
、、、そして、HSP気質があったうえで、少なからず母である私の影響も否めません。
過干渉とか無関心とかではない普通の常識的な親であったと、それは思いますが
なにせ相手HSC
細やかな感情を受け取り、深く思考します
そこに、たしかに愛情はあったでしょう
でも、自身の母からの愛情を知らない私が与える愛は多少いびつだったのだと思います。
おそらく、距離感がおかしい
心の過干渉といいますか
自分のことのように喜び
自分のことのように苦しむ
多分もう一体化してた(勝手に!)
自分のこと、と錯覚してる感じ
自覚はなかったものの(それがじつは怖い)どうしようもなく愛に飢えて乾いてた心が、ふゆの誕生で埋まったのだと思います。
なので、もう
ふゆ=自分
になっていたし、それが心地よかったのも事実です。
HSCは雰囲気や表情まで敏感に感じとります。
自分のことなのに母である私が恐ろしく悲しんだり、(逆も然りなんですが)怒ったりすることは、かなり負担に感じてたと思うのです
だから、苦しい学校も休みたいと言えなかったのでは?とも思います。
以前書いたように、冒頭でも書いたように、繰り返すと
ふゆの不登校のはじまりは
HSP気質+学校という環境=苦手‼無理!行きたくない→我慢→不安障害→不登校
という流れで完成しています。
学校が苦手で行きたくないけど、言えなかった原因、我慢してしまった原因は
大好きなダンスに行きたかったからというのも真実でしょう
それにプラスしておそらく私(母)の重々しい期待を感じ取っていたのではと思うわけです。
今悔いても仕方ないんですけどね。
言い訳でしかないけど、私自身の欠陥ではありながら、自分ではどうしようもなかった環境の影響なので、、、
ただ今ここで気がつけたので。
私自身のやるべきこと(課題)も見つかったわけなので。
簡単なことではないのですが意識改革をしないといけないなと思いました。
今は、課題の分離。が課題(ややこしい!笑)
はい、アドラー心理学ですね
自分では解決できない他者の問題をコントロールしようとしない!自分ができることをかんがえる!
です。
これができると、親子に限らず人間関係はずっと楽になります。
・・・・
でもね
親って複雑で。
子を育てる責任、がそこにあって
厄介なことに知識とか経験で見える世界もあって
それを排除してはならないだろうとも考えるわけですよ
噛み砕いて言うと
あんたをしっかりした大人にしなきゃならんのだから、こうしたらこうなるってわかってること、やったらいいと経験で思ってることは伝えなきゃあかん!
もっと噛み砕くと
将来困らんように勉強やっとけ!
将来困らんように早寝早起きしろ!
将来困らんようにYouTubeばっかりみるな!
なんですよ
(もちろん、YouTubeを見続けたからこそ得た知識や経験で何か将来が開くこともあると思いますが)
楽な方へ楽な方へ人間流れていくのも事実ではないでしょうか・・・
それをあの子自身の問題だから~って黙ってていいものなのか・・・
でもそれも含めて経験させて後悔させてそれがよりよき人生となるのか・・・
本当、誰も分からないのではないかなと思います。
(そう。YouTubeが将来にプラスなのかマイナスなのか本当にわからない!)
で、結局です。
思うのは
子どもとの距離感をつかむ=どこまで自分の課題(親の責任)でどこまで子どもの課題なのか、、
偉い方たちが導き出した正解と言われるようなものはあるかもしれないけど、でも結局、子どもの個性もあるので、、たぶんこれは、正解が一つでではないのでは?
それは子どもに任せたらいい、やりたいままやらせてたらいつか気がつくよ、
って、そりゃ気がつくでしょーけど
1年で気がついてくれる子と、10年かかる子
全然違いますし
ゲーム取り上げてやることなくなって考え始めて立ち直る子
ゲーム取り上げて精神のバランス崩して逆効果な子
ホント様々なので、、
自分の子の正しい距離感をつかむのが大事なんだなと思うのです
見るべきは目の前にいる我が子です。
それだけ。
(でも目の前にいるのに、迷う迷うわからないのが現実なんですが・・・)
アドラー心理学では、親子関係にあるべきは信頼で、上下関係ではないとして、子どもを下に見ることなく一人の人間として尊重することが大事としています。
子どもの特性を理解して
子どもの能力を信じて
自分が思うよりちょっと後ろに下がって(これも大事。ついついいらないところまで踏み込んでしまうので)
これはあの子自身の課題なのだと
親である私の課題ではないのでできるのは「見守るのみ」
一人の人間として娘を尊重したフラットな目で、そのうえで、彼女より多少経験を積んだ人間としていえることできることを冷静にきちんと判断していきたいなと考えているのです。
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