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撞木打つ鐘に茜の急ぎたる

皆さま、ごきげんよう。
本日はこのようなお便りを頂きましたので少し検証してみたく存じますわ。

少々解説の必要なお便りかと存じますので、補足説明いたしますわね。

「水無瀬三吟百韻」というのは室町時代の有名な連歌でして、後鳥羽院への鎮魂の祈りが込められた連歌の傑作とされておりますわ。
このお便りでは、その「第七句をもし自分が詠むのであればどう付けるか」という宿題が出たと仰られておりますわ。

ちなみに発句からの表八句は次のような流れになっておりますわ。

雪ながら山もとかすむ夕かな  宗祇
行水遠く梅にほふ里      肖柏
河風に一むら柳春見えて    宗長
舟さす音もしるき明けがた    祇
月や猶霧わたる夜に残るらん   柏
霜おく野原秋は暮れけり     長
鳴く蟲の心ともなく草かれて   祇
垣根をとへばあらはなる道    柏

ここでは「霜置く野原」が第六句でして、それを受けて第七句に「鳴く蟲」と続いているのですけれども、これを自分ならどう詠むかという問題ですわね。

そこで表題の

撞木打つ鐘に茜の急ぎたる   雪子

がわたくしの答えなのですけれども、意味としましては前句の「霜(しも)おく野原秋は暮れけり」を受けまして――、「撞木(しもく)」というお寺の鐘を突く棒ですわね、その鐘の音が鳴るたびに茜色の空が急ぎ足で過ぎていくという句を付けてみましたわ。

これは元々の第五・第六句にありました、
「月やなほ霧渡る夜に残るらん霜置く野原秋は暮れけり」の、
「秋は暮れけり」の解釈を「晩秋」の意味から「秋の夕暮れ」に捉え直して詠んでおります。

と申しますのも、連歌では前句の解釈を柔軟に展開していくことで楽しみが生まれますので、これを第五句の「月やなほ霧渡る夜に残るらん」に似たような内容で詠むことが良しとされず、禁じられているのです。例えば第七句では「夜の風景」を詠んではいけないという縛りになりますわ。

この宿題を解釈しますとこの「第七句」というのが実に巧妙でして――、
例えば第三句で「木」の情景が出た後、暫く草本が出てこないように、発句からの縛りが何かと多い局面になっております。

ですから、もしわたくしが先生として宿題を採点するのであれば、詠んだ内容の上手下手ではなくって、そういった連歌の制約や展開の理解度で成績を付けることになるのではないかしら。

尤も、この内容を授業で取り上げるとなりますと、高等女学校では少々高度すぎますわよね。おそらく大学のある程度専門的な課程に相当するのではないかしら。難しゅうございましたわ。

中々普段こういったことを考える機会もありませんので、今日は頭の体操になりましたわ。お手紙ありがとう存じました。普段使わない脳の部分を回転させたような気が致しますわ――。

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