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過去の事実は変えられないけど、その価値や思いは変えることができる。

幼少期、両親が共働きのため0歳から3、4歳ごろまで何軒かのご家族にあずけられ面倒をみていただき、その後小学校低学年頃までは祖母に面倒を見てもらいました。
乳幼児だったので2軒ほどのお宅はかろうじて記憶にありますが、そのほかの何件かのご家族は記憶にないし、どんな方々だったのかも知りません。

このことがよいとか悪いとかじゃなく、皆さんに大事にしていただいただろうし、いやな記憶もないのですが、自分の中で「三つ子の魂百まで」のように、この0歳から3,4歳までの経験が今の私の性格を作ってしまったのかな、と思うことがあります。

繊細で、共感する力が強く、人の機微きびを敏感に感じ取ってしまう、いわゆるHSPやエンパス体質的な部分、人に遠慮してしまう、なかなか人を頼れない、人を優先してしまう、自分では好ましいとは思えない性格、生きづらさ。

「人の顔色をみるね」といわれたり、「いつもニコニコしていて八方美人だね」って皮肉交じりに言われることも嫌でした。昔「鈍感力」という言葉がはやりましたが、鈍感にわがままに生きていけたらどんなに楽だろうと思うことも多々あります。

0歳から3、4歳までのあいだに、知らない人達の中に入り、何度か人や家族がいれかわる中でもそこにいなければいけない。幼いながらも、わがままをおさえたり、気をつかったり、気を張ったりしながらいたんじゃないかなと思います。

この自分にとっては、好ましいとは思えない過去への受け取り方が、いま変わってきています。

見てくださった方々にもいろいろご事情があっただろうし、お子様のいないご家族もあったかもしれません。乳幼児、とくに赤ん坊は手がかかるし大変だけど、無邪気で見ているだけで、そこにいるだけで幸せをくれる存在でもあります。もしかしたら私の存在が、面倒を見てくださった方々やご家族をいやしたり、幸せにできていたのかもしれない。

そんなふうに考えると、今の自分が救われた気持ちになったし、しあわせで温かい気持ちにもなれました。こんな気持ちが、過去や今の自分を許すことにもつながっていくのかなと思います。

今までネガティブな面にばかりフォーカスしてきたけど、いろんな視点や違う側面をみていくと、いやだなって思っていたことも、逆に喜びみたいなものも見えてきたりするんですね。

人には一人ひとりいろんな過去があると思います。苦い思い出や失敗、思い出したくもないような出来事も、見方次第で価値やかたちをかえていくことができる、生かしどころがあるんじゃないか。マイナスと思っていたものもプラスに転じていくことも可能なんじゃないかと今は思えます。


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