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『"It"と呼ばれた子』の、心の傷と一緒に幸せになる言葉①

母親によってコンロで腕を焼かれ、その上「コンロの上に寝て、"あの子"が燃えるところをあたしに見せてちょうだい!」と要求されるという、とてつもない虐待を受けたデイヴ・ペルザーさんという人がいます(デイヴさんは母親から"あの子"や"それ"と言われていました)。

他にもとてつもない残虐非道な虐待の数々を受けてきたのですが、気が滅入ってしまいとても書けません。

デイヴさんはカリフォルニア州史上最悪とも言われた虐待を受け続けていましたが、それに気づいた小学校の教師たちによって、12歳のときに救い出されました。

しかし、彼の苦悩はそこで終わったわけではありませんでした。母親によって植え付けられた劣等感や心の傷が原因になって、人から気に入られるためにやらなくていいことまでしてしまったり、まともにコミュニケーションが取れないなど大変な人生が続きました。

それでも決してあきらめず、厳しい訓練を経て空軍のパイロットになることができたり、結婚して子どもを授かり立派な父親になることができたりと、ひとりの人間として自立し、成功をおさめました。

ときに「子ども時代に不幸な経験をしたのだから、将来もロクな人間にならない」と言われたこともあったそうですが、彼はそんな周囲の声も自分の中にあるトラウマも跳ね除け、前向きな選択をし続けました。

さらに、自身が立派な人間として人生を歩むだけでなく、虐待から立ち直った経験をもとに講演活動や著作活動をするなど、傷ついた人や若者たちが勇気を持てるように励ましています。

辛い出来事があって心に傷を負うと、その出来事から解放されたとしても、心の傷が原因となってさらなる不幸を引き寄せ続けてしまうということがあります。
そこまでいかなくとも、人生のふとした瞬間に心の傷が劣等感や嫌悪感を思い出させて、「どうせうまくいかないから」とチャレンジすることを諦めるなど、積極的な行動が取れなくなってしまうということがあります。

私たちは「今」を生きています。生きている目的は幸せになることです。
でも、過去が原因で今の人生が幸せでなくなってしまう。

私は、それが一番「もったいない」ことだと思っています。

だから、私の目標は「心に傷ができたすべての人が、心に傷を持っていても、人生を楽しめるようにする」です。

デイヴさんはとてつもなく辛く悲しい経験をしました。
そんな彼でも、心の傷に邪魔されないで幸せになることができました。
もしかしたら、この記事を読んでいるあなたにも、人に言えないような大変なことがあったかもしれません。
私も親との関係でいろいろと悲しい思いをし、人生がうまくいかない時期がありました。
でも、私の心にも、そしてあなたの心にも、デイヴさんと同じように、過去の体験に囚われずに幸せに向かうことを選択する力があります。

デイヴさんが著した本に『"Itと呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』(ヴィレッジブックス 2003年)があります。

私は、怒りや悲しみが絶えなかった頃、この本を持って旅に出たことがあります。
電車の座席に座ってこの本を読み、ときに顔を上げて車窓から景色を眺め、いろいろなことを考えました。
私はここまでひどい体験はしていないですが、感じていた怒りや悲しみの種類はとても似ていました。私が感じているものと似た感情を持っていたに違いないデイヴと、本に書かれた言葉をとおして対話したことによって、生きる気力が生まれてきました。
私にとってこの体験はひとつの転機になりました。そういう意味で、あの旅は忘れることはできません。

もしあなたが心の傷によって苦しんでいるのなら、私があのとき楽になったように、少しでも楽になってもらいたい。

そう願って、『"Itと呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』の中から、心の傷があっても幸せになれるように、背中を押してくれる言葉を紹介します。

過去にどんなことがあっても、心は自由だ

人間の心はどんなことがあっても、支配されたり征服されたりしない

p11

親が年がら年中怒鳴り合っていて、その状況が何年も続いており、その怒鳴り声を浴び続けてきた。ときに、そのとばっちりも受けた・・・。
このような辛い状況に長い間接し続けたとしても、心を前向きに保ち続けている人は、相当強い精神力の持ち主に違いありません。
ほとんどの人は、このような状況に置かれれると心が弱くなり、後ろ向きな考えが染み込んでしまいます。
心に後ろ向きな考えが染み込んでしまった状態。それはいわば、ネガティブな考えや感情が「クセ」になってしまった状態です。

心にネガティブな考えや感情が浮かぶこと自体は普通のことなので何も問題ありません。
ただ、ネガティブな考えや感情が浮かんだときに、何らかの「前向きな」思考や行動ができないと、その人は幸せになることはできません。

心に傷を負った人は、ネガティブな考えや感情の連鎖に知らず知らずのうちに巻き込まれて、前向きな思考や行動をすることが難しくなってしまうケースがあります。

この状態が長く続くと、ネガティブな思考や感情を「私の性格」だと思ってしまいます。
そうすると、また前向きなことが考えられなくなる、そしてネガティブな「性格」が強化される・・・というループが起こります。

このループから脱出することができない――つまり、自分は幸せになることはできない――と思っている人もいます。そもそもそういうループにはまっていることを考えたことがない人も多いかもしれません。

でも、不幸な状況に長く置かれたからといって、心が不幸なことしか考えられないようになってしまうかというと、そういうわけではありませんよね。

心はどんなことでも考えることができますから、これまでの自分の人生からは決して考えられないほど最高に最上に幸せになった自分を想像することもできます。

これはデイヴさんが『"Itと呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』の中であげている例なのですが、あるアメリカ人将校は、捕虜になっている間に頭の中で家を一軒組み立てて、その中に置く家具のことまで考えたそうです。

敵の狙いは、この将校を捕虜生活に耐えられなくして、軍の情報をすべてしゃべらせてしまおう、というものでした。ですが、この将校は正気を保つために心をコントロールしたのです。

捕虜にされたからといって、心まで不自由にしてしまう必要はありません。自分の心を扱うのは自分自身です。このアメリカ人将校は、厳しい状況の中でも、置かれている状況とは別のことを考えることで心の自由を保ち続けました。

私たちも、このアメリカ人将校を「自由な心」のお手本にしましょう。

実はこの「自由な心」は、誰でも生まれながらに持っているものです。
軍隊で過酷なトレーニングを積まなくたって、みんなが自由な心を発動することができます。
もちろん、あなたも自由な心を持っています。

もしその自由さが、過去に受けた心の傷によって邪魔されていると感じるなら、まずは「自分の心は自由だ。決して他人や過去によって支配されない」ということを思い出してください。
もしかしたらもう忘れてしまったという人もいるかもしれませんが、子どもの頃は、最高に自由な心を持っていたはずで、その心はまだ、あなたの中に残っています。

過去が変えられないなら

里子だった十代のころ、僕は後ろめたさと恥ずかしさに苛まれ、母との関係にきちんとした答えを見出そうと必死になっていたが、あるときにセラピストから思い切った質問をされた。「過去を変えるために、何かきみにできることはあるかな?」僕は泣きながら首を振った。「それなら、何もしなくていいんだよ!」とセラピストは諭すように言った。「学ぶべきことを学んで、前に進みなさい」

p55

周りの目が気になる十代の子どもにとって、友達と比べて家庭環境が劣っているとか、同じくらいの年齢の子がしてきた経験を自分だけがしていないということが、「恥ずかしい」と感じる原因になってしまうのは仕方のないことです。

当然のことですが、「恥ずかしい」と感じることはイヤなことなので、自分に誇りが持てるように、母との関係を合理的あるいは必然的なものだったと理解したかったのだと思います。

しかし、その試みは失敗に終わります。
なぜなら、世の中には「悪い人」もいるからです。
それが親である可能性もあります。

私は野球をやっていたのですが、かつて母親から「お前が野球をやっていたってどうしようもないのだから早くやめてしまえ。勉強でもしろ」と言われたことがあります。
その一方で「お前は大して勉強もできないんだから将来大した人間にはならない」とも言われたことがあります。
「いや、勉強しろって言ったやないかい」と心の中ではげしく突っ込みましたが、漫才でもボケの人が非合理的なことを言うからツッコミがおもしろくなるように、私の母親の発言に合理性を求めても仕方ありません。
犯罪を目撃したり巻き込まれてしまったからといって、その出来事に合理的な理由を見つけることは難しいでしょう?
人生にはそういう非合理で不条理な面もあります。それは受け入れるしかありません。

だからといって絶望する必要があるかと言えば、そういうわけでもありません。
その理由は、世の中には親以外にも人間はいるし、その中には良い人もたくさんいるからです。
そして、良い人と友達になることもあります。その出来事だって、合理的ではないわけです。

それでも、人は合理性を求めます。人の心(より正確には、心が生み出した「自分」という感覚)は、「納得」や「理解」をしたがるからです。
もともと合理性のある出来事に関しては理性を使ってその出来事を合理的に解釈することもできますが、そもそも合理的でないものは理性を使って合理的に解釈しようと思ってもできません。

おそらく、デイヴは合理性のないものを合理的に解釈しようとする罠に捉えらえれていたのだと思います。
それが解釈できない間はずっと辛いですから、きっと苦しかったと思います。

そのときに、彼のセラピストが見事な質問をしました。
それが
「過去を変えるために、何かきみにできることはあるかな?」
というものでした。

その答えは、セラピストのみならず、デイヴも知っていました。
「それなら、何もしなくていいんだよ!」
過去を変えることができないなら「何もしない」。これも立派な問題解決のための前向きな方法です。

何もしなくていいものについて「何もしない」と決めることによって、心には物事を受け入れるスペースが生まれます。
そのとき、デイヴの心の奥深くでは
「合理的でないものは、合理的でないままに受け入れてしまう」
という深いレベルでの受容が起こったのではないかと思います。

そのように出来事をまるごと受け入れたときに起こるのが「浄化」という作用です。
物事のあるがままの姿に抵抗して、自分が「こうあって欲しい」という形にしてしまおうと頑張っているうちは、人は癒されることができません。
しかし、あるがままの姿をそのまま見つめて認めるとき、人の心には癒しが起きます。

そのための重要な行動が「何もしない」ということなのです。

えばっちゃいけない、なめられちゃいけない

親切で礼儀正しく、謙虚であることは、たしかに人としてとても大事だけれど、そのために自分を安売りしてはいけない

p60

デイヴは母親からの虐待から救い出された後も、負ってしまった心の傷によって人間関係に苦労したといいます。

友達が欲しくてたまらずおどけていたら、みんなのからかいの的になってしまったり、友達になってくれそうな子のためにおもちゃやレコードを万引きするようにまでなってしまったといいます。

その結果、デイヴは友達を得ることができたと思いますか?
本人の言葉を借りて答えれば「そうやってさんざんがんばっても、悲しいことに結局は誰からも好かれず、友達なんかできなかった」(p59)です。

彼は大人になってからも「人の歓心を買いたい」という思いに縛られていました。そういう思いを持っているため、そこにつけこんでくる人から利用されていると感じたり、歓心を買うために人よりも極端に多く働きすぎたりしたようです。

講演と執筆を仕事にするようになってから、マネージャーに裏切られていたとわかったとき、まわりの人にこう訊ねてみた。「なぜだろう? 僕はこれほどがんばってきたのに、なぜ?」すると、みんなは口々に答えた。きみはお人好しで、文句なんか言いっこないと思われているからだよ、と。人に好かれたいという強い思いのせいで、僕は自分自身のために戦うことができずにいたのだ。

p59

デイヴの心には、親から虐待を受けたことで人間に対する根本的な不信感や恐怖が植えつけられてしまったのでしょう。
その状態で人と接すると、「ぼくの言うことが気に障ったりしないかな?」「怒らせないかな?」と、ビクビクおどおどしながら接することになってしまいます。

基本的には、多少気の弱い人がいたとしても、その人がのびのびと過ごせるように周囲の人が環境をつくってくれる場合が多いと思います。海外の事情はわかりませんが、特に日本ではそうでしょう。
ですが、世の中良い人ばかりではありません。「気分を害さないように」とか「この人のご機嫌を取ったら友達にしてくれるかも」といったビクビクおどおどした気持ちを持っている人を、自分の都合の良いように利用したり、日ごろのうっ憤を晴らすための対象にする悪人もいます。

デイヴは誰に対してもそのようなビクビクおどおどした気持ちが出てしまっていて、おどけるのも万引きをするのもその反動だったのだと思います。

そういったことは、私の身にも覚えがあります。
私の親は17時以降は寝るまでずっと怒っていましたし、こちらが善意でやってあげたことも悪く解釈して怒り出すような人でしたから、私もどうしても、自分よりちょっとでも気の強そうな人や厳しそうなと接するときには、「怒られないように」「気分を害さないように」というビクビクおどおどした気持ちが心に湧き上がってきました。

そういった気持ちは心の中に隠していたつもりだったのですが、隠しきれていなかったのでしょう。高校時代は軽いイジメのようなことも受けました。

私はその後、コミュニケーションの方法を学ぶことをはじめ、瞑想や言霊、体操、呼吸法、ヒーリング等々、身体的なことからスピリチュアルなことまでさまざまな試みをしてそこから回復したのですが、それでもだいぶ時間がかかりました。

ビクビクおどおどするクセを植えつけてしまう人も、ビクビクおどおどしてしまう人を利用する人も、どちらも本当に嫌な人間だと思います。

ですが、人間の世界も野生動物の世界のように「食うか食われるか」といった部分はあるわけですから、誰でも自分の心身を守るため、多少の強さは身につけなければいけません。

「強さを身につける」というと、大変な修行をしないといけないと思うかもしれません。
ですが、ビクビクおどおどしてしまう自分を少しでも変えて、人間関係において尊厳を勝ち取りたいと願うなら、簡単に強くなることができます。
なぜなら、強くなるために変えるのは「言葉」だけで良いからです。
しかも、尊厳を貶めてくる人間に対して口から発する言葉ではなく、心のなかで思う言葉です。

そのために今回は、少し変わった方法を紹介したいと思います。
変わった方法なので、「自分は普通じゃない」と思う人だけが実践してくれればいいです(笑)。
その方法というのは、ビクビクおどおどを打ち消してしまう"言霊"を言う、というものです。

では、その言霊を紹介しましょう。

えばっちゃいけない、なめられちゃいけない

これです。
この言霊は、納税日本一の実業家であり、誰もが豊かで幸せになるための精神的な教えを教えている斎藤一人さんが提唱しているものです。

デイヴが言っているように、礼儀正しさや謙虚さを持っていることは、人としてすばらしい価値です。
ですが、礼儀正しいということと必要以上にへりくだるのは違いますし、謙虚であるということと支配されてしまうくらいに自分の意見を言わないことは違います。

「えばっちゃいけない、なめられちゃいけない」と何度も言っていると、ビクビクおどおどがなくなってきて、真の礼儀正しさや謙虚さを発揮できるようになります。

それに加えて、人と向き合っているときに「えばっちゃいけない、なめられちゃいけない」と心の中で繰り返し発していると、目の奥に炎が燃えているような迫力が出てきます。

悪人は根本的には心が弱いので、「えばっちゃいけない、なめられちゃいけない」という礼儀正しさと謙虚さを併せ持った真の強さの前ではたじろいでしまいます。

この言霊を言っていれば、自分自身を「安売り」することはなくなるはずです。

そしてもう一つ、あなたはきっと「良い人」なんだと思います。
良い人なのは素晴らしいことです。ですが、悪い人に対してまで「良い人」でいるように、自分に課していませんか?

悪い人に対して良い人でいるのは、実は「良いこと」ではありません。

悪い人が悪い人のままでいると、その人が生まれてきた理由である「魂の向上」を果たすことができませんから、悪い人には「あんたイヤな人だね」と教えてあげなければなりません。

とはいっても、面と向かって「あんたイヤな人だね」と言う必要はないのですが、心構えとしてこう思っておく必要があります。

「イヤな人には10倍返し」

これです。

職場や学校にイヤな人がいて、どうしてもその人と話さなければいけないという状況があるのなら、「こいつ、このオレ(私)にイヤなことを言ってきたら、とんでもない目に合わせてやるぞ」
という気持ちを持っていることが必要です。

そういう気持ちを心の中に燃え立たせていれば、不思議なことに、その人があなたを見る目が変わります。
そう思わせればあなたの勝ちです。一目置いた相手を「利用してやろう」とは思えないからです。

もちろん、必要以上に他人と摩擦を起こすことはありません。イヤな人とは距離を置く、これが第一です。
それでもその人と関わらなければならないときに、
「えばっちゃいけない、なめられちゃいけない」
「イヤな人には10倍返し」
と言えばいいのです。
この言霊はすごい力を発揮しますから、ぜひやってみてくださいね。


自分を安売りしていい人なんていません。

誰が何と言おうと、過去にどんなことがあろうと、あなたにはこの地球上にあるダイヤモンドをすべてかき集めてもまだ足りないほどの価値があります。
大谷翔平がフリーエージェントを獲得した際に予想されている報酬(8年契約で6億ドルの可能性・・・スカイツリー2本分の建設費以上)よりもさらに高い価値があります。

あなたは神さまがつくった最高傑作ですから、そのことを肝に銘じておかれてもよいかと思いますし、あなたが自分に価値があると思えなくても、私は言い続けたいと思います。

「あなたはそのままで完璧だよ。だからそのままで大丈夫」

いつも応援してくださりありがとうございます。