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はじめに~「人生で大切なことはストーリー創作教室で学んだ」

こんにちは、このたびは、「人生で大切なことは、ストーリー創作教室で学んだ」マガジンを開いてくださって、ありがとうございます。

このマガジンは、私が過去、とあるストーリー創作教室で学んだ経験をもとに、構成されています。

はじまりは、美術部の部誌だった

もともと私は、マンガ家や絵本作家には憧れたものの、小説を書きたいとは思ったことがありませんでした。
高校時代はマンガ愛好会、愛読書は心理学と占星術の本。大学時代は社会学を専攻し、美術部に所属して油絵パートと水彩イラストパートを行ったり来たりし、絵本の原画と称してA1パネル数枚分の作品を展示して部員にブーイングを食らうという、めちゃくちゃな生活を送っていたのです。

ただそのとき、先輩から「君の絵にはいつも物語があるね」と言われ、「そうか、私はもしかすると、物語が書きたいのかもしれない」と漠然と思ったことだけは、強く印象に残っています。

そんな私がはじめて小説らしきものを書いたのは、大学卒業を控え、美術部の部誌に何か書いて欲しいと頼まれたからでした。

これから社会人として羽ばたいていかねばならないというナイーブな時期でした。身の回りで起きる出来事に過敏に反応しすぎて、生きづらさを覚えていた私が書いたのは、400字詰原稿用紙2~3枚分の掌編でした。

今では内容も覚えていないぐらい、さりげないものでした。と、こう書いていて思い出したのですが、確か、店番をしながら往来をじっと眺めている青年の心情を表現したものでした。

書き上げたとたん、世界が急に色彩を帯びた

部誌への投稿を終え、編集担当の後輩への責任は果たしたものの、まだ体の外に出たがっているいくつかの情景の断片が、心に散らかっているようでした。
それが何だか気持ち悪く、溜まっているものを吐き出したい、という想いから、小説を書いてみようと思い立ちました。
とはいえ、書き方も分かりませんから、当時、好きだった作家の小説を写文し、勘を身体に覚えこませてから、こつこつと自分の言葉をノートに書き付けていきました。

1年ほどかかったでしょうか。

ようやく100枚ほどの小説を一作書き上げ、溜まっていた想像のかけらを、すべて出し切った、という達成感を覚えました。

すると、予想もしなかったことが起こりました。

世界への扉がぱあっと開け、急速に色彩を帯びていくのを感じたのです。

それは不思議な体験でした。

灰色の世界で生きていた、とまでは言いませんが、脳と心が分離しているような、ぎくしゃくした心地を覚えていたのに、すべてがすうっと繋がっていったのです。

「小説ってすごい……」

と衝撃を受けました。

人生の一瞬に一生の師匠に出会う

その後、地元の小説同人誌や詩誌に入会し、こつこつと創作活動を続けていきながら、小説の書き方を調べていたところ、縁あって、とあるストーリー創作塾の塾生になることができました。

当時、オンラインで小説塾を開催している方は、とても少なく、稀なる機会を得た、と今も思っています。


師匠のことを、仮にA先生と記しましょう。

A先生は、スパルタ教育を施されることを示され、それでもいいのかと問われました。
入塾を決めるのに勇気がいりましたが、私には小説を書くことで、人生が豊かになった、という、あの衝撃的な経験がありました。
それを多くの人に伝えたい、という想いから、思い切って飛び込んだのでした。

入塾後、先生独自の小説作法をいろいろ指導していただきました。その大部分を理解できたとは思えませんが、今も心に残っているのが、
「物語は、AからBへの移動である。A地点から、B地点までの、意識の変化を綴ることで生まれる」。
ということでした。
これも、難しい暗喩で示されたので、悟るまで何年もかかりました。しかし私自身も、「意識の流れ」を重視する技法を用いて書いていたので、強く印象に残ったのでしょう。

師匠との訣別時に渡された印籠

やがて、先述したとおり、文学よりは、心理学や哲学を好み、大学では社会学を専攻していた私は、先生の仰ることは、小説作法だけでなく、社会を構成している人間の生き方についてもいえるのではないかとの仮説を立てるようになりました。つまり人も、Aという始まりの地点からBという終わりの地点までの間で、意識の変化を何度も繰り返しながら、成長していくものなのではないかと考えるようになったのです。

その視点で世の中を観察すると、確かにすべての人が、産声を上げて生まれたA地点から、息を引き取るB地点までの間を、意識の変化の連なり、山と谷を形作る曲線のリズムに乗って生きているのが感じ取れました。

ということは、人は誰でも、自分自身の物語の主役だと言えるのではないか。ということは、ハッピーエンドの物語を書くドラマ作法を使って自分のこれまでの生き方を見直せば、実際の人生も修正できるのではないか……

私は徐々に夢想にふけり始めました。もしかするとA先生も、ご存じだったかもしれません。少しずつ、先生との間の溝が広がり始め、比例する様に、先生の厳しさは増していきました。

やがて私が勇気を振り絞ってA先生のもとを去ると告げたとき、「君は無能だから伸びていくと思っていた」という一言と共に、門扉をぴしゃりと閉じられたのでした。

ストーリー創作技法は豊かな枝葉を広げている

その後、私は、もっと具体的なストーリー創作技法を調べ始めました。

ストーリー創作技法には、他にも様々な項目がありました。登場人物のキャラクター設定、キャラクターたちが存在する社会の環境設定、小説の世界観、構成の仕方、物語の山と谷、キャラクターアークなど、枚挙にいとまがありません。

ただ、その無限の枝葉の幹となったのは、常に先に述べたA先生の
「物語は、AからBへの移動である。A地点から、B地点までの、意識の変化を綴ることで生まれる」
という言葉でした。

心理学やマーケティングの世界でも見つけた

同じような思いは、心理学の、交流分析というジャンルのなかに、人生脚本という心理学用語を見つけたときや、神語学者のジョセフ・キャンベルが、
「基本的なストーリーパターンは、日常から旅立ち、非日常の世界で宝物を見つけ、再び日常の世界へ戻ってくるというもの」
と述べているのを見つけたときにも感じました。

さらには、小説には程遠いと思っていたマーケティングの世界でも、ストーリー創作法が役立つものとして掲げられていることを知ったときは、「えーっ!」と声さえ上げてしまったものです。

日本のマーケティング業界を牽引してきた経営コンサルタント、神田昌典さんが、キャンベルの言葉を受けて、
「人は物語を通じて、自分の内面に深く入っていくことで、今まで気づくことのなかった個人の才能や組織のリソースを発見できる(著書「ストーリー思考」より」と記していたのを読んだ時は
「経営の世界でも認められているのだから、すべての人々が物語の作り方を身に着けることができれば、世の中はずいぶんと創造的になるにちがいない」
と感動を覚えました。

そして今、私が実感しているのは、人は誰でも豊かなストーリーのなかで、自分の人生の主役として生きているということなのです。

その大いなる事実を、もっと多くの人に気づいてもらいたい! というのは、私自身の心からの望みです。

今後の記事掲載予定

その思いを、「人生で大切なことはストーリー創作教室で学んだ」で表現していこうと思います。
もしA先生が、これに気づかれたなら「あのばかが、こんなことをしている」と苦笑されるかもしれません。

これから掲載していく連載記事では、数ある創作技法の一部を使って、宝物を見つけた二人の女性の生き方をお伝えしています。

彼女たちの名前は「まひる」と「あかり」

ふたりは学生時代にストーリー創作教室で基礎を学び、これを活用したりしなかったりしながら、人生を歩んでいきます。そして、コロナ禍のなか、お互いに思わぬ形で、人生の転機を乗り越え、夢を叶えていきます。さらにそのなかで、それぞれ宝物を発見するのです。
さて、ふたりはどのようにして夢を実現させ、宝物を見つけたのでしょう。

長い物語になりそうなので、「あらすじ」と「シナリオ」を併用しながら、さくっと読めるようにしていきます。
ぜひ、楽しみながら、読んでくださいね。

それでは、あとがきでお会いしましょう!

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