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ぼくのMARIE・ヴァーティカルアンリミテッド

当初は「学童保育クルセイダーズ」という題名にしようと思ったのですが、学童保育の探し方にお迷いの親御さんがたが万が一noteを利用されていた場合になんの責任も取れないので自粛して取り下げたという経緯があります。これでどうかお許し頂けないでしょうか……

<記憶>

noteがつべライブをしていると知らなかったので後で見たいと思い、自分へのリマインド()です。

お料理のライブなようですね。

活字メディアもYouTuber的な発信をしていく世の中になっているんだなあと思います。

料理なら社会人のかたもご家庭のかたでも楽しめるわけで、今日は無理でも明日の一品に買い足そうと運動を喚起したり、スーパーに寄るという接点を増やすことに還元できたりと行動なんとか学的にいいんでしょうねと思いました。

noteをお借りしているから持ち上げたくなったのではなく、ぼくがあまりにもアンテナが低いため身近にあるそういう話題性の有るタイムリーな例を見つけられないから引用させて頂きました。

公式さんに気づかれては(向こうさんは企業として運営なさっているので、気づいてもほっとかれることが多いはずですが)なにか後ろめたいので、直接noteを引用することは避けている次第です。

ぼくのMARIE

今日は突発的にあっちにいったりこっちに行ったりと疲れました。時勢がどうなっているという話をふんだんに耳にすることがあっても、町の人口はあまり減っていないように思えます。

だからか、(だからか?)今日は突発的にものすごく森永のマリーが食べたくて食べたくて仕方なくなってしまい、交通機関に輸送機が到達する時刻をいくつか敢えて逃しながら、コンビニエンスストアを2件回りましたがコンビニエンスストアが入荷する商品は酒の宛になるような塩辛い揚げチップやここぞとばかりのチョコレート群ばかり。

なんでしょう、ぼくが酒をやらずチョコレート菓子の臓器へのヤバさを身を以て味わっているから(おそらく常人より臓器が強くないようです)そういったものに近づかないようになって久しいんですが……世間的にはコンビニで買うものといえば酒かチョコレートなんでしょうか。

MARIEの素敵なところ

結局ドラッグストアで見つけられました。

MARIEはいわゆるビスケット然とした食べ物を摂取したくなった際に―――――その人の育った環境などによる影響にも左右されそうですが―――――かなりの上位を陣取れるポテンシャルを携えて居るように思います。

俺は今ビスケットを食っている!!という実感がMARIEの固さから得られ、紅茶を淹れて飲めばたちまち部屋の中は英国の昼下がりに変容します。

普段、後述の体の弱さもあり節食している身ながらふたつ買ったMARIEを一箱からにしてしまいました。その直前にすごい勢いで鶏肉を食べたにも関わらずですね。

コンビニエンスストアの商品傾向について

とはいえ先週の真夜中あたりに突如としてポッキー極細を50個ぐらい買いたくなるという所有欲(所有欲というよりは、その場にとにかくポッキー極細を存在させて、俺はいつでもこの甘い菓子群が摂取できるのだ、してやる、という気分に陥れる環境を作りたかったのだと思います)が芽生え、文字という形でSNSに叫び倒していました。欲がないわけではないのです。お寒い自分語りになってしまいますが……ものすごい自制心で絶対にそういうものを買わないようにしています。

ぼくが幼い頃遊んでた携帯ゲー的なコンビニエンス経営シミュレーションだと酒や薬の販売許可を得るためにとんでもない稼ぎをしなければならなかったり、CPU店との距離をある一定以上に突き放さないとそもそも販売できなかったりというシステムだったような記憶があります。

確かに、住宅街に建てた支店だと高齢者なり学生なりが夕方ぐらいから酒を求めに来、同時に合わせ買いとして菓子だのチップだのを求めていたため、店としてはかなりの売り上げとなっていた記憶もあります。

それがそのまま事実を反映しているのだとすれば、酒ならびに酒の宛となる商品を入荷しない手はないですね。

後記・冠の雪原考察

あと最近いろいろな方の冠の雪原ライブストリームを見ています。

バドレックスは何百年~何千年という時を経てぼくらPCと出会い、孤独を雲散霧消できただけでなくかつての友(愛馬)と再び巡り合うことができたことを喜んだのでしょうか。

彼/彼女にとって瞬間で飛び散る、人の命が継続するほんの少しの時間をともに過ごして、人の文明は激しく変貌していき、また同じように少しずつ記憶を無くし、友ともまた別れることになってしまうというような、繰り返しの中に生きていくのでしょうか。

少しセンチメンタルな気分になりました。そんな想いを抱える中、ぼくがこれまで楽しんだようなライブをしてくれる人はあまり多くないのかも知れないなあとも思うようになりました。

あまり口がよろしくない向きは元々選択肢に入らないのですが、いわゆるゲーム制作元が遊ぶ人に対して楽しんでもらうために敢えて残しているとでも言える欠落点・ボケポイント的な部分をそのままあげつらって一笑に付したり、なにかご自分がお金を払って買ったコンテンツだろうと思われるのに、俯瞰した傍観者のように自分の立ち位置を置いて、やたら冷徹に実況したりするような人もいらっしゃるので「うーん、そうなのか」という……(ご自分でお金を払ったならどのように実況するにも自由であるというご意見もあるかもしれませんね)ことを考えるようになったのでした。

少しでも棘を立てないように、濁しまくり過ぎてお伝えできていないかも知れませんね。それはそれで良いのですが……

ゲームの世界が見せてくれている小ボケに対して突っ込んでいくことが実況者とかそういうタイプのかたの個性なのかも知れないではありますが、見たものをそのまま100%額面通り返していくというのは果たして個性なのかな、と思ったのでありました。

あまりこのnoteでは社会に対してこうであるとかぼくはこういう理由でこう思うからこれが正しい、というような書き方はしないでいきたいと初回に書いておいて情けない限りです。

濁しまくったことで、自分のかつての意思に操を立てたいという思いなのでしょう。これでも2500字を越えてしまいました。

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