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商業主義アドトラック

ZAZYのお話。ヘッダ画像をお借りしています。

ZAZYはデジタル芸ですが、現代のオンラインセールスに通じるものがあります。

それで(それが主たる原因なのかはわかりませんが……)R1で優勝できなかった。かつて優勝したような連中は、上記の喩えを引っ張るのであればパッションで対面の営業をするような人々に該当するでしょうか。

つまりここに対面営業VSオンライン営業みたいな構図がある。

その前に余談です。

ハリウッドザコシショウ(以下ハリウッド)だけを槍玉に挙げるのは心苦しいのですが、ZAZYの2つ目(=決勝)が終わって、その内容に「あぁ~そう(1回目と同じように)来ちゃうのかぁ」という顔をしたことにZAZYが負けたといいますか、票が入らなかった(どれほど素晴らしい内容であっても、仮に全人類がZAZYを気に入ったとしても、投票券のある5人がZAZYに入れなければZAZYは負けるようにシステムができている)理由があるようにぼくは思えています。

つまりボタンを押して絵を流すデジタル紙芝居芸は確かにすごいし、準備や練習は想像を絶するほどに大変だったはずだが身体ひとつで勝負していないこと、1回目の内容の進化系が2回目だったことを好感とせずにマンネリと捉えられてしまったのではないか?とぼくは感じた。

審査する5人は、投票前にそれぞれ話し合いなんてしませんが、

(したら単純に談合であり娯楽とは言え金銭がかかっている現場であるため刑法的な観点から犯罪になる可能性は高いでしょう。ぼくはあまり吉本で固められた審査側を信頼してはいませんが、流石に談合だけはしていないと踏んでいます)

テレビでは今この映像を放映していますよ、という彼らに見えるモニタにはZAZYの2回目が終わった瞬間のハリウッド含む審査側全員が映った画面が流されたはずです。

実は談合などしなくても、そこで「自分以外の審査員が今のZAZYをどう思ったか」が一瞬で見て取れる。

ただそこで「あの人が渋った表情をしたから今の出場者に投票するのはやめとこう」とは思わない……だろうとぐらいにも審査側のプライドを信頼しているつもりでもあります。

それはエンターテインメント創出の場に立つ人種が、「他人の意見に流される」みたいななよなよしたプライドを持ち合わせてはいないだろうという目論見によるものです。

審査する人間は、自分のエゴだけが色濃く反映された対象に投票して優勝させて、自分の選球眼が正しかったと悦に浸る。

という点を踏まえて次回はまたデジタル芸と体当たり芸を対面の営業とオンライン営業になぞらえて考えていきましょう。

良い週末をお過ごしください。

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中村風景
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