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関ミナの「好きなこと特化型理論」を実践すると

noteのクリエイターフェスについてぼくはさっぱり知らなくて、むしろ未だに何が開催されているんだかガチでわかってはないんですが少し気持ち的に参加した話をします。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくが関わったのは(関わったといいますか一方的に受けた)配信プラットフォーム上でのライブストリーミングで、関ミナティとえりなっち(敬称略)が登場したのを見たものでした。

当初公開されたアーカイブでは冒頭15分ぐらい音声が終わってて、別日にアップされたものを見たら正常になっていた。曲がりなりにも配信メディアを運営する企業が音声テストすらしていないのだろうかと考えた。

しかしながら後盤で復旧していた折にはどういった手段が用いられていたんだろう。録音デバイスを2つ持っていた?ピンマイクが終わってて、全体マイクに切り替えて編集した?いずれにせよ有観客で全体マイクを入れていたのだとしたら、功罪のうちの功が得られたのだろうか。

曲がりなりにもという単語が便利なので何度も使いますが、曲がりなりにもTikTokでランカーみたいな扱いになっている面子、しかも2名も、を同様なmovieプラットフォームでがびがびな見せ方したらブランディングの邪魔したみたいなことになりませんか?

本番では関ミナの言っていることもえりなの言っていることもどちらも説得力がありすぎた。ぼくはTikTokを利用しませんが、そんな者でも楽しかったんだから何かしらに従事する人は見たほうがいいんじゃないだろうか。

特にその中でも関ミナが言っていた、自分のしたいことを常に意識し続けるみたいなことがぼくの中で早速機能した。全く関係ないこと同士なんだけど、めっちゃ娯楽Aと別の娯楽Bみたいなことを結びつけたらとんでもないポテンシャルになるんじゃないかなという発見があった。

これは両者ともぼくが普段から「頭から振り切りたくても振り切れないほど意識していること」だった。つまり本来ならAについて考えている間はBについてはかすりもしないぐらいに思い出さないのだった。

で、もうちょっというとこれは別に関ミナから言われたからしぶしぶ意識していたわけじゃなくて、好きなことを思い浮かべながら好きなことをしてたら思いついた。そして後からこの現象を関ミナが言ってたあれに通じるな、と思い出した。

つまりぼくらは普段から本当に好きなことだけを追いかけているべきだ。それも一種に絞るだけだとちょっともったいない。「いろんなことに興味を持て」という大人の声はなんか一辺倒でぼくは好きになれなかったけど、関ミナみたいな言い方をしてくれてたらよかったのにと人のせいにして終わりたい。

世界はメンバーシップ型よりも好きなことに特化させるジョブ型に移行している。だから好きなことひとつだけに特化型の生き方でもいいと思うんだけど、好きなことが2つあれば自然と倍量に詳しくなれるから、ジョブ型でもそちらのほうがいいのだろうか。

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