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YUSUKE CHIBA-SNAKE ON THE BEACH-というソロ企画を知った話

日本のガレージシーンを駆け抜けたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやROSSO、The Birthdayにボーカリスト・ギタリスト・作詞曲他ハーピスト等として所属していたYUSUKE CHIBAのソロミュージシャンとしての始動をぼくは見落としていたようで、YouTubeのおすすめ欄に公式PVが出てきたため知ることができました。

今さっき知ったばかりなため、原盤を手にできておらずCD屋に行けた際に改めて歌について細かく書けたらと考えています。

The Birthdayは藤井健二が加入して移行、非常に落ち着きのある歌謡曲─────とまではいきませんが─────のように、ギターロック、ベースロック、ドラムロックの領域を自由に飛び回りながらリスナーを決して飽きさせることのない変化を見せるグループであったと思っています。

逆を言えば、それまではThee Michelle Gun Elephantの時代も含めてメトロノームの振り子がいつその揺らぎを制御できないほど激しくしてしまい、盤面から飛び出してしまうのではないだろうかという危険さ─────個人的には危険とは思いませんが客観視した場合─────を伴っているように思えた。

Thee Michelle Gun Elephant時代から(Rossoを除く)連なるドラマーのクハラがグループのサウンドを制御したり、あるいは敢えて制御しなかったりすることでその世界観を表していたようにも見えました。

スレンダー

上記PVでは冒頭から恐らくYUSUKE CHIBA自身が所有するGRETSCHのシールドケーブル接続部分に近未来的なシールドが接続されます。しかもかなりのノイズを伴っている。

スレンダーという歌はそれ相応の歪みとともに奏でられることが予告されているようであり、実際その様になっています。

PVの背景も─────リスナーによってはROSSO/アウトサイダーとの共通項を受け取る向きもあるかも知れませんが─────あまりこれまでに観たことがない至ってシンプルなもの。

白い背景に楽器を持ったボーカリストと、楽器の音声を拡大するためのアンプリファーが5つ並んでいるだけ。

歌の小節転換とともに背景が反転色である黒化したりしますが、特殊効果というわけでもなく、個別に黒背景を用意したものと思われミュージシャンの表情にエフェクトはかかっていません。

そして、歌の進行とともにカメラが寄るだけです。もちろん、あくまでプロモーション用の仕立てであることの影響もあるかも知れない。芸術的な感性を残しつつ、観たい人だけが見る場だけでない、より公共の場所で流される可能性を考慮した作りとなっているのかも知れません。

アンプリファーとケーブル

また段落冒頭で描写したシールドケーブルについてですが、その近未来性はケーブル自身が意思を持ったAIであるかのように振る舞う部分。

演奏者が楽器にケーブルを挿したのち、ケーブルの接続部分が自ら回転しボルトを楽器に近づけ、その役割を果たそうとします。

ぼくが知る限り、市販の楽器サプライ品にそのような機能があるものを見聞したことがないため、これは仮想のアイテムだと仮定することもできます。すると、このOP部分とED部分(ED部分でも似たようなシールドケーブルが意思を持っている、あるいは意思を持っていたが失われてしまったような描写があります)においてはミュージシャンは演技をしているとも言えます。

PV、MVというものは監督の裁量一つに強く依存するとも思えますが、本来主役であるそのPVが撮影されるに至った理由である音源をリリースするミュージシャンがさながら短編映画の主人公のように出演します。左記のようにMVを短編映画と捉えるのであれば、もちろんPVの中で実際に楽器を持っていて演奏のポーズをしていようがいまいが、楽器が拡声器に繋がれており撮影現場で実際にサウンドが鳴らされていようがいまいが完成するPVにその音は乗らない。

つまりPVに撮影の現場において架空の演奏行為をおこなうこと自体を「演技」と捉えることもできます。

本来(PV内で実際に得られているような効果を生まないという意味で)意味のないシールドをギターに挿すという「演技」を冒頭に挟み込んで歌を唄い、演奏している。それだけ歪みを生み出すという宣言に注力しているのかも知れません。

赤毛のケリーやGT400なんかでは楽器を所持していなかったり、重厚をこちらに向けている描写をおこなっているため、その部分は上記のような広義的・狭義的如何の定義をせずとも演技であると言えそうです。

そして、恥ずかしながらぼくはこのPVの背景にあるような5つの拡声器に一つの楽器を同時に繋げられるかどうかについて詳しくありません。技術的に「つなげること」は不可能ではないようには思えますし、一般的に歌のMIX、編集作業などでカットされるはずである歪みが意図的に創出されるための条件としては全く適している状態と言える。

アンプリファーの音量を下げず、また電源を切らずに楽器に接続してしまうとその瞬間非常に大きなハウリング音のようなものが響き渡ります。ライブ会場やスタジオ等で楽器を演奏する場合、あまりおこなわない行為であるといえる。しかし敢えてそれをすることでノイズを出したいんだという意思表示になるわけです。

上記GT400を含むALに収録されたドロップのような非常に長いループ・サウンド、メジャーコード展開による多幸感や侵食感に近いものを感じました。当時再現できなかったものがいま展開されつつあるのだろうかと。

ドロップは、Thee Michelle Gun Elephantが存在する最後の日のステージで最初に演奏された歌でもあります。その際、YUSUKE CHIBAは「よく来たね」と言い、サングラスをつけたまま演奏を始めた。

また6/8拍子でない、エイトビートの非常に速いバージョンも存在します。疾走感から爽やかさが得られる可能性はあるものの、ノイズめいた多幸感なようなものは失われていない。

タワーレコードによるこのCDより一年前にリリースされたファーストALについてのレビューを発見することもできました。

割と片仮名横文字ばかりが横行しておりよくはわからないのですが、おそらくそういうことなのでしょう。

後記

また公式チャンネルではごく最近、過去のbirthday歌をMV視聴用にと一挙公開した様子。

一瞬、何か解散でもしてしまうのかと思いましたが杞憂のようでとても安心しました。

お読みくださりありがとうございました。

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