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哀しみが波状攻撃でやってくる

以前、もう逝ってしまった人(Goner Person)の誕生日だったことに気がついたことがありました。ヘッダ画像をお借りしています。

しかしながら別に波状攻撃的には思わなかった。ではなぜこの題名にしたのかといえばなにかしっくり来たからです。ぼくは今その人の誕生日を想い、なにを受け止めたがっているんだろう?

その日ぼくは寝ないで現場にいた。おそろしく大切な日だったので誕生日がどうというのを忘れていた。

寝ないで現場に臨むと、「短期記憶の継続のできなさ」が思ったよりも障害であることに気づく。つまりある説明をめもっていて、優先度の高い大事なことAを書き留めて、その前に話された前提条件Bみたいなものがなんだったか忘れてしまっている。

シナプス……でいいのかどうか忘れましたが、それらの細胞か神経をつなげる作業のための能力がそこまで低下してしまうっていうのはクソ危ないと思う。フルパワーで挑まなければ相手のすべてを受け止めきれないのだ。

しかしながら同時にぼくよりも圧倒的に悪化した環境下でそれをやっており、ぼくとは異なり提示する側にいながらにしてその状態である人が仮にいたのであれば、めっちゃやばいんちゃうか、と思った。そんな短期記憶が覚束ない状態でなんらの「伝え」をしたところで全額伝わりなんてするのだろうか?

寝てない人たちの集まりがあり、物事が進められてしまったのであれば、大半のことがおざなりになってしまってもおかしかないとも思った。話し合った、という事実だけあればいいのだという考えです。そしてぼくがいたのもそういう場だったのだろう。

また奇しくも昨日は「深夜に書いたラブレターを朝見返したらさっさと捨てろ」的な古式ゆかしい文化習慣を例に出し、ぼくはそんなことを体験できなかったみたいなことを言ったのですが……この深夜ラブレター現象がそのような寝てない人々の場ではがんがん起こり得てしまうのではないかとも思えた。それはちょっと危険視したい……

自分の握っているハンドルが普通自動車のそれなのか、大型バスのなのかみたいなことが運転しているその一瞬では判別つかなくなるような感じといえばよいだろうか。夢をみているみたいな感じだろうか?自分の小学校の校庭にいたと思ったら次の瞬間誰かと見知らぬ部屋で性交をしていた、といったような。夢とはそのように突拍子のないものなのだが、いま自分がやっていたことが「あれ?こんなことしてたっけ」みたいになるのは……アルツハイマーといいますか、博士の愛した数式……アルジャーノンに花束を……になってしまうのではないだろうか……これは些かどころか完全によろしくない。

その時は全くの別件で多少走り回らねばならなかったのも原因の一端かも知れない。少し寝たら治ったし、いつもの、現在いだくある考えと過去の考えがなにかでつながっている感じを思い出せた。

そのまま寝ていなかったら思い出せもしなかったのだろうか。後で健康になってから、思い出せなかったことを思い出し、悔やむのだろうか。別になにもしないんだけど。

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