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『そうか、もう君はいないのか』自由のなかにも尊重を【読書感想文】

こんにちは♡
この間、お友だちにオススメしてもらった本を読んだんです。
何冊か紹介してもらって、1番に気になった本。

城山三郎さんの『そうか、もう君はいないのか』

タイトルからして、せつない。
こう思わせてくれる「君」とは一体どんな人なのか。
この160ページ程の本の中に、どれだけの想いが込められているのか。
手にとってすぐに読み進めることにした。


この本は、もともと経済小説や歴史小説を主として書いている城山三郎さんと奥様の容子さんとの出逢い〜最期の時までを綴ったラブレターのようなお話。

「そうか、もう君はいないのか」の『君』は、もちろん奥様の容子さんであり、実際に小説の中にも出てくる言葉。

かんたんな言葉なのに、しっかりと胸にささる。
心を抉られる。

言葉ひとつなのに、放った時の表情や虚無感に襲われるような部屋の静けさなど、まざまざと感じとることができる。


夫婦といっても、さまざまな形がある。

城山さんと容子さんの夫婦の形は、時間やあらゆる情報に追われている現在の夫婦とは、また違った世界にあるかのように、穏やかで美しい。

容子さんのことを出逢った時に『妖精』と呼ぶ城山さん。
チャーミングであり深い気遣いのある妻。
日々生きていく中の節目節目で夫を支える存在になったり、励ましたり。
彼女でなければ、こんな素敵な夫婦…またハッピーエンドは迎えられなかっただろう、とも感じる。

あっという間に読むことのできる量。
だけども、後半にいくにつれて、一気に読むのが寂しくなる。

作者と同じく、容子さんのことを身近に感じ、とても大切な存在へと変わっていく私たち。
最期の時を迎え、お別れをする心構えをしながら、読み進めていきたいと感じるような物語。


駆け足で進んでいく物語と病状。別れの時。

城山さんの気持ちが「」(吹き出し)なしに、どんどん溢れ出てくる。
余計に「もう、君はいないのか」と、こぼれた言葉が、本当の寂しさをうつしているかのようで、心がぎゅっと締めつけられた。


残された人の虚無感。彼を支える家族。

小説の最後には次女の井上さんが記した言葉もあり、容子さんが亡くなった後〜最期を迎える城山さんの姿や夫婦の絆についても描かれている。



心にぽっかりと開いた大きな穴、埋めることはできなくても、今ある幸せをみつけ、共に歩こうとする家族。

城山さんの描くことのできなかった、自分の姿。
小説から目を離すことができないまま、涙が堰を切ったように流れ出して、大切な人を思い起こさせる。

果たして自分はここまで想ってもらえる人になれるのだろうか。
反対に、今いる大切な人たちを失った時、私は同じような喪失感を味わってしまうのだろうか…
その時の私は、恐らく『わたし』とはまた違う何かになってしまうのではないか。
少し恐ろしくなった。




お互い自分を殺すことなく、短所までも長所に変えられるような、相乗効果のある夫婦関係。
最期の最後まで尊重しあう夫婦の形をみた気がする。


そんな夫婦関係を築きたいなぁと思いつつも、全く同じにはなれないし、真似をするのもまた違う感じがする。



わたしたち夫婦は、また違った形を探って、お互いの存在を支えていく。
お互いの足りない部分を補って、だけども大きな衝突はなく、平行線で続いていく。

尊重とは何か。
お互いの自由を奪うことなく、尊重しあう関係は、どんな関係においても理想形なのかもしれない。


悲しくて、少し考えさせられるお話しでした。

おつかれさまでした。
おやすみなさい。


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