Instagramアレルギー発症
Instagramへの投稿をやめた。
元彼になったあの人が、投稿を見て私を思い出さないで欲しいから。一方的な別れ方をしたから、せめてもの罪滅ぼしをさせていただきたく。
直接的な理由は、彼氏と別れたことだが、近頃インスタに投稿するという行為に違和感を持ち始めていた。
学生の頃は、月に数回ストーリーを投稿していた。彼氏と旅行に行ったとか、いつものメンツでカラオケオールとか、今思えば若気の至りとしか言いようがない内容だ。
恥ずかしい。
でも当時は恥ずかしいなんて微塵も思っていなかった。学生時代を謳歌していることの証明みたいなものだった。周りもみんな似たような投稿してたし。
社会人になると、投稿に値する出来事はそんなに起こらない。会社の人としか顔を合わせない単調な日々。職場の人と飲みには行くのは普通に楽しいけど、ストーリー撮ろ〜!みたいなノリのやつはいない。
当たり前だ。
みんな順当に大人になっている。
その割に、インスタを眺める時間は全然あって、人の投稿を見てしまう。学生時代と大差のない投稿を流し見る。
明日仕事なのにこんな時間まで飲んじゃった〜wwwとか。
ピチピチのスパッツとスポブラみたいな格好でジムの鏡の前で自分の姿を写してみたりとか。
やっと仕事終わった〜(午前1時)、とか言ってる猛者もいる。
学生よりよっぽど痛いわ。
投稿しないと決めてはみたものの、
映えるお店に行ったり
久々に地元の友達と会ったり
数年ぶりに海外旅行したり
そんなことがあると、投稿したいと思ってしまう自分がいた。
インスタ映えする遊びをしてるのに、投稿しないのがもったいないと思ってしまうのだ。
投稿するために遊んでるわけではないのに、もったいないと思ってしまう自分が気持ち悪い。
インスタに投稿したいと思うのは、結局はイケてる自分を自慢したいからだ。ちゃんと人生を楽しんでいるということを、他者に承認してもらいたいからだ。
楽しかった飲み会や旅行の思い出を、承認欲求のために利用している。
承認欲求は厄介だ。
どうしてこんなに承認を求めているのだろう?
どうやら自信がないので、承認してもらわないと居場所がないと勘違いしてしまうようだ。
子どもの時は、居場所がなくなることもあったように思う。友達や先生に認められなければ、学校での居場所はなくなる。
でも、今はそんなことはない。少なくとも私が働いている職場は、仕事ができない人をいじめたり辞めさせたりすることはない。居心地が悪いなら、転職することもできる。
自分に合う環境を選ぶ権利は、自分自身の手の中にある。というか、自分の手の中にしかない。その権利を行使しないのは勝手だ。権利を行使しないで環境が悪いと言い続けるのは無理がある。
何のために承認を求めているのだろう?
承認を求め続けていったい何になるんだろう?
何もない。
たとえ、誰も私を承認してくれなくても、自力で生きていくしかない。
たとえ、みんなが私を承認してくれたとしても、私のためだけに尽くし続ける人はいない。
私は本当にクリームモリモリのパンケーキを食べたいのだろうか。
とろけているチーズの動画を撮りたいのだろうか。
コンクリート打ちっぱなしの壁の前で写真を撮りたいのだろうか。
転職しないのはやばいことですか?
好きなことを仕事にしないとだめですか?
投資して稼いだら、海外旅行するルールですか?
知らないとやばい神アイテムって何ですか?
沼らせる女にならなきゃいけないですか?
手放してはいけない男は誰が決めたんですか?
自分がしたいことがわからなくなる。
自分が心からやりたいことがないようで、怖くなる。
他者からの承認を得るための行動はもう何ひとつしたくない。私は私がしたいことしかしたくないのだ。
インスタに上げないとしても行きたいと思うところにしか行きたくないし、食べたいものしか食べたくない。
そう思ったら、行列に並んでまで行きたいところや食べたいものなんて、そんなに多くない。
自然に投稿できる人は、承認欲求を満たそうなんて思っていないのだろう。自然と自分自身を承認できるし、他人からの承認も得られるのだろう。
なぜ私にはそれができないんだろう。
私の中で少しずつ蓄積されてきた違和感が閾値を超えたらしい。
映えなくても、流行ってなくても、好きなものは何ですか?
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