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何でもいい。からの卒業

就活をしていた頃からだろうか、やりたいことが無いことに悩み出したのは。
結局、やりたいことは見つからず、できそうなことをやりたいふりをして就職した。仕事に不満はないし、未だにやりたいことは見つからない。もはや、やりたいことなんて必要なのか、とすら思ったりする。


周りの友達を見ていて少し気づいたことがある。やりたいことがない人は、行きたいところも食べたいものもないのかもしれない。自分も含めて。
友達と複数人で遊ぶ時、行き先を決める人とついていく人はなんとなく決まっているものだ。
行き先を提案し、決定できる人はやりたいことも見つけられているように見える。

人生においてやりたいことがないのは、行きたいところ、食べたいものがない、というレベルから始まっている気がした。
自分が行きたいところより、みんなが行きたいところの方が気になる。みんなが食べたいものを私も食べたい。そう思っているうちに、自分の欲求を見失ったのだろう。


東京で好きな人とデートをする時、特に行きたいところがない。
どこに行きたい?とか何が食べたい?と聞かれても、本当に何でもいい。投げやりなわけではなく、心から何でもいいんだよ。何でも楽しむし、何でもおいしく食べる自信がある。
夜は、ごはんを食べて、お酒を飲んで、セックスをすればいいのだけど。昼間することがないのだ。
東京なんて何でもあるのが取り柄の街なのに。別に行きたいところが思いつかず、困ってしまう。
水族館に行くとか、美術館に行くとか、選択肢は無限にあるんだけど、猛烈に行きたいというわけではないから、2800円の入場料は高い気がして。
好きな人といれば、場所なんてどこでもいい、ということに甘えてしまう。

でも、ちゃんと行きたいところや食べたいものがある人もちゃんといるということがわかってきた。そういう人との旅行はうまくいくし、楽しい。きっと人生を楽しむのが上手いんだろう。
何でもいい。って言われるのが困るのはよくわかる。実際、何でもいい。って言われると困るもん。


何でもいい。から卒業したい。

テレビを見て楽しそう!と思ったら、
インスタでおいしそう!と思ったら、
メモするようにした。
「何でもいいマインド」で生きてきた私は、好きへの感度が鈍っている。
とっさに思いつけないなら、書き留めておくしかない。


人生をたくさん楽しむために、好きなものへのアンテナを立て続ける。

ラジオを聞くのは好きだし、本を読むのも好きだし、音楽を聞くのも好き。好きな人とお酒を飲むのも大好きだ。


今日、久しぶりにライブに行った。
コロナ禍になってから初めて。もう3年近くライブに行っていなかったんだ。声を出せないライブってこんな感じか。呼びかけに誰も応えられないのが切ない。ドラムとベースがみぞおちに響くのが心地良い。歌詞を噛み締めて、なんだか涙が出た。
ボーカルの女の子が「悲しいニュースもこのジメッとした蒸し暑さも、今ここで私たちが抱きしめます!」
と言っていた。私よりも歳下で、普通の女の子の雰囲気も纏いながら、板の上に立つ人の強さと優しさを感じさせてくれた。
とにかく楽しくて、心が熱く震えた。好きなものに触れた時、ちゃんと心が動くことにほっとした。


自分の欲求や好きにちゃんと耳を傾ける訓練をしていこうと思う。
やりたいことを見つける一歩目はそこからだ。ゴールにやりたいことが本当にあるかは分からないけれど、この道を進んだ方がきっと幸せが多い。

どうせ私は、世間がいいと言うものを自分がやりたいことだと信じて生きられるほど器用ではないのだから。

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